Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
はじめに
旅のはじめでいきなりつまずいた
地中海世界
ローマ属州
ガリア・ナルボネンシスの玄関 ―マルセイユからサン・レミへ―(1~3)
写真
天空の城と石の家
ラヴェンダー畑に建つセナンク修道院
ワイン街道をヴェゾンへ
オランジュ ―ローマが息づく街―
山上の砦
ユゼスからポン・デュ・ガール
ガリア・ナルボネンシス最初の植民都市
聖地への道の起点 ―サン・ジル―
ローマ、聖地、そしてゴッホ
港町マルセイユ
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
旅の終わりに
あとがき
 ローマ、聖地、そしてゴッホ 2

 翌朝、昨日ホテルまで送ってもらった運転手に迎えに来てくれるよう予約しておいたタクシーで、アルルの北郊にあるモンマジュール修道院Abbaye de Montmajour に向かった。街を出るとすぐ湿地帯で、やはり一面の水田が広がっている。この景色を見るとアルルがローヌ川の自然堤防の上に築かれた街だということがよくわかる。モンマジュール修道院は平原の中にポツンとある低い岩山の上に建っているのだが、かつてここは湿原に浮かぶ小島だったそうだ。10世紀創建のこの修道院はシトー会を含むいくつかの修道会の前身であるベネディクト会の修道院で今は完全に遺跡化している。至極シンプルな造りで内部には何もない。壁面にわずかに消え残っているフレスコ画だけが往時の装飾の名残だ。高い塔に登ると一面の田園風景が美しく、ゴッホが愛したアルピーユ山まで見渡せる。
 修道院の裏には修道士たちの墓地の跡がある。岩山なのでちゃんとした墓壙を掘ることができなかった代わりに、岩盤を人の形に掘り窪めた埋葬壙がずらっと並んでいる光景が修道院での厳しい生活の末路だと思うとなんだか寒々しい。
 市内に戻って次はアリスカン墓地Les Alyscamps に向かう。ローマ時代以降中世まで最も格式の高い墓地とされ、聖トロフィムをはじめ多くのキリスト教の聖人もここに眠っていた。誰もが死後ここに葬られることを望んだらしく、棺を積んだ小舟にお金を添えてローヌ川に流すと墓番がそれを引き上げてアリスカン墓地に葬ったという伝承すら伝えられている。
崩れかけたローマ時代の門を抜けると長い並木の参道が続いていて、その両脇にずらっと石棺が並んでいる。ここはゴッホとゴーギャンが画架を並べて描いた場所で、二人の絵を見比べると構図はほぼ同じなのに色彩や光の使い方から醸し出される雰囲気など正反対の性格が表れていることにびっくりするだろう。そんな二人だが、ともに明るい陽光を求めていたことは確かなようで、もしゴッホがずっと元気でいてゴーギャンにタヒチに誘われたらどんな絵を描いただろうと想像してしまう。
 参道の一番奥に小さな礼拝堂がある。5世紀のアルル大司教だった聖オノラSaint-Honorat の名を冠したサントノラ教会の跡で、聖トロフィムの遺骨がサン・トロフィム教会に移されるまではここがサン・ティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路の起点だった。そのため、アルルのロマネスク建築とサン・ティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路を構成する遺産の両方で世界文化遺産に登録されている。この周辺が一番たくさんの石棺が集中している場所で、すでに埋葬された石棺の列の上にまたたくさんの石棺がのせられていて過密状態だったことが分かる。すべて露出しているのは聖遺物を狙って教会が墓暴きをした跡だからだ。礼拝堂の地下は納骨室になっていて今もいくつかの石棺や骨壷が置かれている。さらにその床下は空洞になっているらしく、たくさんの遺骨が納められているのだろう。薄暗く狭い納骨室の空間では足元から何かが這い上がって来るような感覚にとらわれる。背筋がゾクゾクして落ち着かなかった。
 この墓地にあった見事な彫刻を施したローマ時代の貴族や聖人たちの石棺は今は運び出されて博物館に展示されている。