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ローマ、聖地、そしてゴッホ 3
ここからぶらぶら歩いてローマ劇場と円形闘技場に向かった。劇場はオランジュのものと比べると格段に残りが悪く舞台背後の壁も数本の列柱を残すのみだ。周辺には彫刻のある柱頭や桁などの石材が散乱し、ローマ時代の土器や瓦、ガラスなどの破片がいっぱい落ちている。
舞台に板を張ったり足場を組んだりする工事が行われていたが、5月に開催するジャズ・フェスティバルの準備だそうだ。舞台の上では小さな子どもたちがオペラかバレエのまねごとをして遊んでいたが、いかにもフランスっぽくなんかサマになってる。
円形闘技場もニームに比べて残りが悪いが、それでも保存状態はいい方だ。最前列の大理石の手すりなどこちらの方がよく残っている。観客席の最上部には3か所に塔がありここからの眺めは素晴らしい。ニームの円形闘技場や劇場でもそうだったのだが、いちばん上は6階建てのビルの屋上ぐらいの高さなのに転落防止柵なんてないし立ち入り禁止でもない。貴重な遺構を傷つけないためには当たり前のことなのだが、リスクを負うのは見学者個人であるというヨーロッパ的な考えが如実に反映している。遺跡や歴史的建造物の公開に当たってはこういう考え方が本当だと思う。
日本ではどうだろう。いま大阪城を訪れると天守閣の横にモダンなエレベーターが設置されている。本丸に通じる大手門の敷居の延石にも鉄製のスロープがある。以前堀に子供が落ちるという事故があり、大阪市の管理責任を問う訴訟が提起されたこともあって現在堀の周囲には汚らしい偽木の柵が廻らされている。バリアフリー社会の実現には何の異存もないし対策をもっとスピードアップするべきだとも思う。しかし、それは歴史遺産の景観を破壊してまで行われるべきものだとは思わない。歩道の段差や駅のホームなどは機械を設置したり段差を削ったりすればいいと思うが、歴史遺産においては車いすを持ちあげたり目の不自由な人に手を貸したりする職員を配置するコストを社会は負うべきだ。加えてなんでもかんでも行政の責任にする風潮も考えもので、周りにいる人たちが自然に助け合うような人間的で温かみのある社会の実現を目指すことが結局は歴史や文化を大切にすることにつながっていくのだと思う。大阪城ばかりあげつらって申し訳ないが、日本人みんなが考えなければならないことだと思うな。
また話がそれたが、これほど街じゅうにローマの遺跡がしっくりとなじんでいる光景を目の当たりにし、それが街の住人の誇りになっているということを知ると、やはり考えこまされてしまうのだ。考えながら歩いて県立古代アルル博物館Musée
départemental Arles Antique に向かった。アルルの街の西外れ、ローヌ川と運河に挟まれた三角州のような場所にあってちょっと遠いが20分ほどでたどり着いた。
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