Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
ブルトンの農家民宿 グルヴァン湾岸のメガリス バルネネ古墳
はじめに
やっぱりフランス旅は
いきなり面白い
ブルトン
またはケルトの国
メガリス Megalithes
ブルターニュ公国の古都
小さな海 
―mor bihan―
メガリス研究発祥の地
地の果て Finistere
ブルトンの村・建築
ブルターニュの最深部
―フィニステール北岸―
谷の町モルレー Morlaix
パリに戻ってさらに考えてみた
 ブルターニュの最深部 ―フィニステール北岸―

 バルネネの大ケルン Tumulus de Barnénez


 フィニステールの北岸にモルレー湾という深い入り江があり、この周辺にもメガリスが集中している。この湾の東岸にパン・アル・ラン岬「Point Pen al Lann:(荒野のはずれの岬)」というのが突き出ていてその高台にバルネネのケルンがある。インフォメーション棟から狭い道を登っていくと海を見渡す広場が現れる。その中央に巨大な積石塚がある。近づいてみると一部が崩されて石室が露出しているのだが、それは持ち送りアーチの高い天井を持つ「窯状の玄室」で、ほんとに新石器時代のものかい?と思わせるような構造だ。さらによく見るとケルン自体が一度拡張され、二つのケルンが結合したような形になっていることが石積みの違いからわかる。古いほうのケルンが覆っている石室は単体で見れば長い「羨道付ドルメン」だ。それら最初の段階の石室は割り石で入り口がふさがれ入れないようになっているが、窯状の玄室は通り抜けることができるようになっている。
 このケルンは上から見ると全体が長方形で、最初の段階では羨道付ドルメンが5基、次の段階では羨道を伴う窯状の玄室が6基と、計11基の主体部が納められている。いくつかの石室にはやはり線刻が施されているのである。
 放射性炭素年代測定の値は古いほうが6700年前、新しいほうでも6400年前という値が示されている。ケルンを構成する石材の量はある計算によれば50000トンに及ぶというから、まさに初期のピラミッドにも比肩し得る規模だ。しかし、忘れてならないのはこれが王の権力を示すモニュメントではなく集団墓であるということだ。
 この地の果ての新石器時代の住人は何を思い、誰にどのような意思を示すためにこんなものを築いたのだろうか。

 ここには小学生の団体が見学に来ていた。写真を撮っていると、引率の先生が子供たちを押しとどめて画面に入らないようにしてくれる。子供たちもおとなしく待っているものだから気の毒になって「かまわないから前を通って」と言ったのだが、先生は「あわてなくていいからいい写真を撮って」とおっしゃる。何かそれがこういうところでの当然のマナーだと考えているようだ。以前レゼジーの先史学博物館で出くわした小学生の団体も規律があって熱心に勉強していたのを思い出してこいつらお利口さんやなあと感心した。日本で出会う遠足の小学生は大概わあわあきゃあきゃあやかましく、統率がとれないもんだから先生方はひっきりなしに怒鳴っている気がする。でもフランスの教育にあまりコンプレックスを感じることはないんだよ。カルナックで出会った高校生なんかばらばらでだらけていて、若者がしらけていくのは万国共通かなと思ったのだから。