Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
すごそうなおやじ 谷底の町 興奮の露天市 カフェ・オーロラは毎晩最高
はじめに
やっぱりフランス旅は
いきなり面白い
ブルトン
またはケルトの国
メガリス Megalithes
ブルターニュ公国の古都
小さな海 
―mor bihan―
メガリス研究発祥の地
地の果て Finistere
ブルトンの村・建築
ブルターニュの最深部
―フィニステール北岸―
谷の町モルレー Morlaix
パリに戻ってさらに考えてみた
モルレーでまた考えた

 モルレーには2泊したのだが、正直なところもっとゆっくりしたかった。小さな町だけに隅々まで歩いて回ろうと思えば回れる。高級ブランド店などはないけれど、お洒落着や気の利いた小物の店から骨董店、ブルターニュの地場産品まで何でもあるし、それぞれが個性的だ。アランに出会ったせいか町で会う人たちがみな暖かいように思う。流れる時間がゆったりしていてフランスを旅しているというある種の切迫感を忘れさせてくれるような気がする。いろんなことをゆっくり考えられる町だ。

 今回の旅で飲んでみたブルトンビールは数えてみたら8銘柄で、出発前に意気込んでいたほどじゃない。オーロラで飲ませるブルトンビールが50銘柄ほどあるから、ブルターニュ全体だともっとあるんじゃないかと思うのだが、少なくとも飲んだ8銘柄は全部旨かった。原料も色も仕込みも度数もさまざまなのだが、まったく無作為に抽出して飲んでみたわけだからこの旨さの度合いというものはたいしたものである。残念なことに生ビールというのには出会えずすべて瓶詰めである。それでいてあの旨さというのは驚くべきことだ。たぶんそれぞれの銘柄の生産量がさほど多くなく造ったはしから消費されていくこと、それとブルターニュという地域からほとんど外へ出ずに地域内で飲まれていることが旨さの理由だろう。

 日本でもあちこちで地ビールが作られるようになってきて、時々とてつもなく旨いビールに出会うことがあるが、そう感じるのは造った所で飲んだときに限られている。ちょっと有名になったあの銀河高原ビールだって、沢内銀河高原ホテルで飲む生の味は瓶詰めのものでは求めようがない。確かに銀河高原の小麦ビールの瓶は世界中どこへ出しても恥ずかしくない第一級の味だとは思うけどね。
 翻って大手メーカーのビールの味だが、もう末期的だな。出荷量日本一なんて麗々しく宣伝しているアサヒのスーパードライなんてビールを馬鹿にしているとしか言いようがない。はっきり言って100ケース買ってくれたら100ケースの景品つきなんていうダンピングで飲食店に売り込んだ結果じゃないか。それはとりもなおさず安上がりに造ってるってことで、ビールの味なんかしやしない。味わって飲むべき酒じゃなくて水代わりに飲むんだったらいいよ、どうぞお好きになさい。許せないのはこんなものを増産するために歴史ある吹田工場の赤レンガ、それまでずっと稼動してきた明治の官営ビール工場の生きた遺構を壊してしまったことだ。今だったら文句なしに登録文化財になる価値があった建物だ。サッポロビールのジンギスカンじゃないが、レストランやアウトレットモールなんかに改装して活用する方法はいくらでもあったろうに。心の貧しさだな。

 帰国して今もちびりちびりと味わっているのだが、EDDU という蕎麦のウィスキーはまったくほかではない味だ。アイリッシュウィスキーに似た雑穀のブルトンウィスキーともぜんぜん違っている。味の基本はウィスキーに違いないのだが柔らかくてわずかに蕎麦の香りが残っている。ラベルにはPur bre noir (混ぜ物のない黒い麦)とあって普通bre noirは玄麦の意味だが、箱に描かれたイラストは明らかに蕎麦である。コピーを読んでみてもbre noir はsarrasin (サラザン=蕎麦)のことだと書いてある。今はフランス中で食べられるガレットも本家はブルターニュだ。蕎麦は東アジア北部が原産地で、サラザンは東方のサラセンから伝わった穀物であることを示しているのだが、ヨーロッパの西のはずれであるブルターニュでさかんに栽培されているのは興味深いことだ。これも東方キリスト教の伝播と密接な関係があるのではないか?そんなこともこの町では考えた。
 余談だが、蕎麦が日本に伝わったのは中国、朝鮮を経由してのことだが、「韃靼蕎麦」というからには西方から伝わった穀物だという認識があったのである。

 ランビグというシードルを蒸留したオー・ド・ヴィーもほんのりりんごの香りがするブランデーといった感じで旨い酒だ。別名になっているカルヴァドスはノルマンディーのカルヴァドス県がこの酒の名産地だからである。ランビグの語源はたぶんアランビックという蒸留器で、古代ギリシャの錬金術師による発明品だという説が一般的だが、「アラビア式」という名からして香料を精製するためのアラブ世界の発明品だと思う。これが南アジアではランビクと呼ばれ、江戸初期の日本に伝わったときには「らんびき」と名を変えている。そういえばそんな銘柄の焼酎があったな。
 いろいろなものがユーラシアの東と西のはずれを繋いでいるのだということをきわめてはっきりした形で実感できたのもモルレーでの収穫だった。

 見落としたところもたくさんあって、例えば、モルレー湾の湾口の黒島Ile Noire という岩礁にトロウ城Chateau du Taureau という百年戦争のころ築かれた見るからに頑丈そうな巨大な砦があるのだが、訪ねられなかったのが心残りだ。周辺のメガリスもぜんぜん見足りない。再訪せねばならんだろうな。