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ローマ、聖地、そしてゴッホ 4
途中博物館のエントランスロードの脇にキャンピングカー専用の駐車場があって、一見してロマと分かる人たちが昼間から酒盛りしていた。かつてジプシーとも呼ばれていた彼らは馬車でヨーロッパ各地を放浪していた民だが、現在は定住している人たちも少なくないという。放浪をつづけている連中も今は馬車ではなくキャンピングカーで旅をしている。フランスの法律では国籍を持たないロマがひとつの町にとどまれるのは24時間以内で、宿営地もここのように決められている。我々が出会った連中のところへも白バイの警官が来てチェックしていた。
博物館はガラスを多用した平面正三角形のモダンな建物で、最近建てられたものだ。建設前に行われた発掘調査では、戦車競技場の基礎部分が発見され見事な石像なども出土したらしい。遺構の一部は現在博物館の前庭に露出展示されている。そのわきが公園になっていて、ときおり古代オリンピックを再現した子供たち対象のイベントが催されている。
館の内部にはローマ彫刻の石像やアリスカン墓地にあったローマ時代や初期キリスト教の石棺が、それこそいやというほど並んでいて壮観だ。モザイクや建築部材、土器、青銅器、鉄器などの生活用具の展示もものすごい量で、特に5m近くある太い鉛の水道管やローマから運ばれてきた銅、鉄、鉛の巨大なインゴットの山は見応えがある。
いやはやガリア・ローマに圧倒されて疲れ果ててしまった。何かほっとするものが見たくなって、この日最後に訪問したのはアルラタン博物館Musée Arlatenだ。ここは1904年にノーベル文学賞を受賞したプロヴァンスの詩人フレデリック・ミストラルFrédéric Mistral がノーベル賞の賞金で古い邸宅を購入して創設した博物館で、中庭にはローマ時代の遺跡の一部が残されており、館内にはプロヴァンスゆかりの品々が展示されている。また、この博物館を訪れると、伝統的衣装に身を包んだ美しい「アルルの女」が出迎えてくれることでも知られている。
ミストラルはオック語の一方言であるプロヴァンス語の復権に力を注いだ人物で、その作品もプロヴァンス語で書かれている。この博物館の正式な名称もプロヴァンス語でムセオン・アルラテンMuseon Arlatenという。
ミストラルはサン・レミ・ドゥ・プロヴァンス近郊の小さな村メィヤーヌMaillane に生まれ、大学生のころ出会った美しい人妻に片思いの恋をして生涯プラトニックな愛を貫いたという純愛の人でもある。ノーベル賞を受賞したミレイオという作品はプロヴァンスの美しい少女のことを謳った詩集だが、実はこの人妻を少女に置き換えたんじゃないかと思っている。
「アルルの女」はこれまたプロヴァンス出身の小説家アルフォンス・ドーデAlphonse Daudet の小品集「風車小屋だより」に収められた短編小説で、ビゼーが曲をつけた戯曲として有名だ。物語の中でアルルの女は若者が狂気の恋に落ちた末に自ら命を絶ってしまうほど美しい女として描かれているのだが、プロヴァンスに美人が多いことは確からしい。ゴッホがゴーギャンをアルルに誘う手紙に「アルルにはいい女がいっぱいいる」と書いているほどだ。ゲルマン系フランク族の末裔のブロンドに青い瞳というフランス人形のような美人と違って、ギリシャやラテン、アラブなどいくつもの民族が行きかった南仏の美人は黒髪に黒い瞳、色白で鼻筋が通った一種エキゾチックな美しさを持っている。
アルルでは3年に一度ミスアルルともいうべき「アルルの女王」が選出される。アルル出身であること、プロヴァンス文化を深く理解し伝えられること、プロヴァンス語が話せることなどが条件で、もちろんプロヴァンスの伝統衣装が似合う南仏美人でなければならない。
アルラタン博物館で出会ったアルルの女もなるほどと頷かされる美人で、伝統衣装をまとってレース編みにいそしんでいた。これも展示の一部だろうとカメラを向けたら「写真はだめっ」とにらまれてしまった。「あなたの写真をとってもいいですか?」って丁寧に聞いたのによ。愛想はよくない。プロヴァンスの民家の内部を復元した部屋の前にいたもう一人のアルルの女はこちらに背を向けてずっと携帯電話でおしゃべりしていた。やれやれ。
余談だが、アルル近郊のフォンヴィエィユFontvieille という村にはドーデが散策の途中でよく立ち寄り「風車小屋だより」のモデルにした石造の風車小屋があり、ドーデ博物館として公開されている。
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