Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
フランスの絶景 ―サント・ヴィクトワール山―
ローヌワイン街道と美しい村々
オークルの村 ―ルシヨン―
特別な白ワイン ―ボーム・ド・ヴニーズ―
ヴァケラスからジゴンダス
セギュレとサブレ
住人が育てるいいレストラン ―カヴァイヨンー
コロニア・アレラーテ再訪 ―交易都市再発見―
古代ローマの川船
ガリア・ローマの食品コンビナート
フランス最大の塩田地帯 ―カマルグ湿原―
カマルグの白い馬
マルセイユ ―ガリア・ローマの熱気―
旅の終わりに
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
あとがき

 ガリア紀行あとがき

 ガリア紀行というエセーを書き始めてはや十数年の時を過ごした。まだ旅をやめるつもりはないが、「ガリア紀行その1オックの国」、「ガリア紀行その2ブルトンまたはケルトの国」、そしてこの「ガリア紀行その3ガリア・ローマ」。ひとまずはこの三部作でフランス旅の完結としよう。
 つれあいとのフランス通いを始めたきっかけは、子供のころからの夢だった旧石器時代の壁画洞窟をこの目で見たいとか、ヨーロッパの新石器時代を代表するブルターニュのメガリスがなぜ世界文化遺産になっていないのかといった、考古学徒としての単純な学問的興味だった。
 実際に旅をしてみるとフランス人もいろいろで、地域による文化的差異も大きいことが見えてきた。特に、現代フランス人のアイデンティティー形成に古代ローマの属州だったことが少なからず影響しているらしいことや、「カトリックの長女」と呼ばれるフランスの人たちの立ち居振る舞いを今も律するキリスト教の歴史にも興味がわいてきた。現代の宗教としてのキリスト教には何の魅力も覚えないが、ロマネスク建築には妙に心を惹かれるものがある。これは2003年にパリでノートルダム大聖堂を初めて目にしたとき、権力と結びついたカトリックがどれほどの富を収奪してきたのかということを実感して激しい反感を覚えたことの裏返しだ。パリのノートルダムに代表されるゴシック建築の広がりが現在の西欧の範囲と重なるという政治史的、建築史的な興味とも無縁ではない。
2003年に行った初めてのフランス旅は、とりあえず壁画洞窟とメガリスの両方をいっぺんに見ようということで、レンヌを起点にカルナックのメガリス、ペリゴールのラスコー洞穴を回って終点はトゥルーズと、ほとんどフランスの四分の一周をレンタカーで駆け抜けただけだった。まったく無謀なことをしたもので、ひどく疲れた割に得たものは少ない旅だった。
その旅の反省から、やはり地域とテーマを絞ってじっくり見なければということで、これまでにフランス南西部、ブルターニュ、そしてプロヴァンスを巡り歩いたわけだ。2005年の南西部の旅の経験は「ガリア紀行その1オックの国」に納めたのだが、その後も「オックの国」は2007の秋に訪れ、2014年のペイ・バスクへの旅と2016年のプロヴァンス旅の時にも少し立ち寄って新たな発見もあったので、「ガリア紀行その1」は改定の必要を感じている。
ブルターニュの旅のことは2006年の「ガリア紀行その2ブルトンまたはケルトの国」にまとめた。メガリスと飲み食いに関してはかなり書き込むことができたと思っているが、ブルターニュのカトリックに透けて見える東方キリスト教の影やドルイドとの習合といったテーマについては、いまだ十分理解したとは言い難い。人、文化を包括した風土そのものの持つこの土地の魅力にすっかりはまってしまって、その後ブルターニュは2008年秋、2012年春と、2003年の旅も含めると都合4度訪れた。ケルトの文化やブルターニュ公国のこと、ブルターニュの自然などについては増補が必要だろう。
 そして今回のガリア・ローマである。初めての旅が2007年の春だったからずいぶん時間がかかったものだが、見るべきものが多く、最初の旅だけでまとめるわけにはいかないと考えたうえでの3度にわたる旅だったので仕方がない。
 ローマ属州の遺跡はフランス各地にあって、プロヴァンスを見ただけではガリア・ローマを網羅したとは言えないのだが、プロヴァンス・アルプ・コートダジュールとオクシタニー地域圏の旧ラングドック・ルシヨン東部に広がるガリア・ナルボネンシスとオーベルニュ・ローヌ・アルプ地域圏のガリア・ルグドゥネンシスの遺跡群はなんと言っても保存状態がきわめていい。そういうものが破壊されずに今日まで残っているということは、南仏人がガリア・ローマの記憶に特別な愛着を感じているということなんじゃないだろうか。アルルの女に代表される南仏人の風貌そのものが、古代から地中海を行き交った人々の記憶の現身とも思えるのだ。
 最初のフランス旅が2003年だから、この一連の旅エセーは旅行ガイドとして役に立つようなことを考えたものではない。最初に述べたとおり純粋に個人的な興味から発したものを書き留めておかずにいられない衝動にかきたてられて綴ったもので、言ってみれば私家版の旅の記憶そのものである。フランスに旅行する人は多いし、我々が歩き回った場所もよく知られているところが多い。それでも他人がすでに見たもののおさらいをするのではなく、自分なりの思想が介在する視線で新たな発見を心掛けた旅だった。
旅を繰り返すうちにワインやチーズについてはずいぶん勉強した。もともと実際飲んでみて旨かったかそうでもなかったかで産地を参考に次に飲むワインを選ぶという程度のワイン好きだったが、品種や土地柄などである程度タイプが予測できるくらいにはなった。文中に時々登場するAOC(AOP)に興味を持ったのもワインとチーズを通じてだ。ここからフランスの文化観光戦略というテーマに興味が広がり、フランスがラベルlabel (品質保証票)の国だということを知った。
フランスのlabel にはAOPのように国がお墨付きを与える公式ラベルと、「フランスの最も美しい村」やミシュランガイドのように広域団体や企業が認証する非公式ラベルとがある。AOPにIGP、AB、Label Rouge など関連する公式ラベルが設けられているのと同様、非公式ラベルである「フランスの最も美しい村」にも「フランスの最も美しい寄り道Les plus beaux détours de France」や2度目のプロヴァンス旅で泊まってみた「ブドウ畑の中のシャトー、伝統的屋敷と優れた宿」など、互いを有機的につなぐ運動体が生まれてそれなりの成果を挙げつつある。
 近年外国人観光客の誘致に力を入れている(らしい)日本が心しなければならないのは、公式、非公式を問わずフランスのラベルが情報公開も含めてきわめて厳しい基準で運用されているということだ。日本のラベルは認証数を増やして産業を保護することが第一の目的で、「本物」を追求することにはほとんど心ここにあらずだ。JASマークの付いた食品がすべて本物というわけではないということぐらい誰でも知っているが、じゃあ「本物」っていったい何だという線引きはもうずるずると言っていいくらい甘い。
 一方国家レベルでのブランド保護に目を向けると情けないほどお粗末だ。以前「津軽リンゴ」が中国で商標登録されて騒ぎになったことがあったが、商標権料を払わなければ津軽リンゴを中国に輸出できない事態になりかけた。商標出願した中国企業はどうせ和解金目当てなのだが、国の責任はほったらかしで青森の農協が無防備すぎたという話にすり替わっている。
ほかにも世界中で出回っているWAGYUという牛肉はアメリカの畜産会社が黒毛和種の受精卵を高値で売りさばいて広がったものだが、もとはアメリカの産業スパイによって黒毛和牛の凍結受精卵が日本から持ち出されたのが事の始まりである。
最近ではアメリカ政府をバックにしたモンサントの圧力に負けて「主要農作物種子法」が廃止された。TPPの一環で農業への民間参入を促進するためと説明されているが、要は多国籍企業への便宜供与だ。モンサントの遺伝子組み換え種子から実った種子は発芽しないし、モンサントが作ってベトナム戦争で米軍がまき散らした枯葉剤の「改良版」であるラウンドアップやグリホサートなどの農薬を使わなければまともに育たない。「種子法」の廃止は日本伝統の種子が消える可能性だけではなく、人の健康や生態系に深刻な影響を及ぼす危険を自ら招き入れるもので、こんなばかなことをしている先進国はほかに見当たらないんじゃないかな。
対外的にも対内的にも国家戦略として明らかに間違っている。
いろいろ書き連ねてきたが、旅を通して新しい発見や思わぬ出会いがあり、そこからさまざまな領域に興味が飛んでいくことによって、人間というものはいくつになっても成長できるものなのだということを自覚したこともフランス旅の効用だった。
しょっちゅういろんなものに目移りする食いしん坊の考古学徒の旅というのはなかなか面白いものだと自画自賛している。