Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
フランスの絶景 ―サント・ヴィクトワール山―
ローヌワイン街道と美しい村々
オークルの村 ―ルシヨン―
特別な白ワイン ―ボーム・ド・ヴニーズ―
ヴァケラスからジゴンダス
セギュレとサブレ
住人が育てるいいレストラン ―カヴァイヨンー
コロニア・アレラーテ再訪 ―交易都市再発見―
古代ローマの川船
ガリア・ローマの食品コンビナート
フランス最大の塩田地帯 ―カマルグ湿原―
カマルグの白い馬
マルセイユ ―ガリア・ローマの熱気―
旅の終わりに
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
あとがき

 古代ローマの川船

 翌朝は早起きしてホテル近くの河岸を散歩した。中世の橋の石造の橋台が残っていて2頭のライオン像があたりを睥睨している。橋そのものはすでにないが、対岸にも同じような橋台が望めた。河岸には大きな客船が停泊していて、ぼちぼち乗客が起き始めていた。ローマから地中海を渡りローヌ川を遡ってきた観光クルーズ船で、アヴィニョンまで行くそうだ。

橋台の上のライオンの彫像 橋台の上から対岸を望む
3000トン級のクルーズ船 県立古代アルル博物館
   
ローヌ川の底で発見された古代ローマの川船 

 実は2012年にこの近くの川底でローマ時代の川船が完全な形で発見された。発掘調査と保存処理、組み立てに3年以上かかって、ようやく2015年から県立古代アルル博物館で展示公開されている。今回の旅の一番の目的は、前回の旅ではまだ発見されていなかったこの船を見ることだ。
 ホテルに戻って朝食を食べてからローヌ河岸を歩いて博物館に向かった。くだんの船は展示室中央の広いスペースに鎮座している。全長31m、最大幅3mほどで細長い紡錘形をしている。船底は川船のお決まりで平底だ。何枚もの部材を組み合わせ、要所を鉄製の金具で補強してある。船首に近いところにマストのような丸太が立っているが、これは帆柱ではなく岸から奴隷たちが引っ張るためのロープをつなぐ柱である。漕ぎ手が乗らなければよりたくさんの荷物を積みこめるからで、川沿いには延々と道路が整備されていたという。船尾には長いオールのような形の舵が取り付けられている。以前マルセイユの博物館でも古代ローマの船は見たことがあるが、これほど遺存状態のいいものは初めてだ。
 
 
舳先を鉄板で補強してある 鉄のインゴット
銅のインゴット 鉛のインゴット
   
 いろんな形のアンフォラ 中身の情報 

 積み荷はローマ本国からくる鉄、銅、鉛などのインゴットや大理石、各地の属州からくるワイン、魚醬、オリーブオイル、塩漬けの魚などを入れたアンフォラや小麦などである。展示してあったアンフォラのいくつかには積み荷の情報が書き込まれている。瓶詰のラベルのようなもので、例えば写真のものは「サバの魚醬、一級品2年物、ガイウス・サトゥリウス・セクンドゥス、帝国御用物資管理官」という意味だ。これ以外にも「イワシの塩漬け」、「オリーブのワイン漬け」、「カツオのオリーブオイル漬け」など様々な品名が解読されている。
 地中海から遡ってきたガレー船からこのような川船に荷を積み替えてさらに上流へ運んで行ったのだろう。大規模なターミナル港では、アンフォラの中身を他の容器に詰め替えることも多く大量のアンフォラが廃棄された。塩漬けの魚などアンフォラを割らなければ取り出せないものも多く、ローマにはアンフォラの破片で築かれた山があるくらいだ。以前マルセイユの港湾遺跡で見たコンクリートの骨材にもそのような破片が使われていた。
 この船を見たことで今回の旅の最大の目的を果たすことができて満足した。町の中心に戻って、前夜闘牛と子羊を食べたオ・ブラン・ドゥ・タイムのあるドクトール・ファントン通りRue du Dr’ Fanton に面したヴァンサン・ヴァン・ゴッグ財団Fondation Vincent Van Gogh のギャラリーを見に行った。フィンセント・ファン・ゴッホはフランス語読みだとこうなる。ゲートにゴッホのサインがデザインされたガラス張りのモダンな建物で、周囲の歴史的な雰囲気にはちょっとそぐわない気がする。
 ゴッホの作品はあまり所蔵されていないが、好きな絵のひとつ「カマルグの風景」が展示されていたのは収穫だった。ほかの展示室では現代アートが展示されていたが、大きな鏡と向かい合いに展示してある絵など観覧者が作品に参加できる仕掛けで、こちらもけっこう楽しめた。
 どこでも感じることだが、フランスではたいていの公立美術館・博物館がストロボなしなら撮影OKで、理由があって撮影してはならないところだけカメラに斜線が入ったマークが掲示されている。これは中国の公立博物館などでも同じだから、最近改善されてきているとはいえ大半のところが撮影不可という日本だけがちょっと特殊なのではないかと思う。
 東京駅前のJPタワーで東大が運営しているケ・ブランリー・トウキョウなど、本家のパリのケ・ブランリー美術館が何でも撮影OKなのにレプリカしか展示していないエントランスホールすら写真撮影お断りというからなにを勘違いしてるんだろう。以前ホールの壁に飾ってあるマチカネワニの復元骨格のレプリカを撮ろうとしたら、カメラを取り上げんばかりの勢いでガードマンが飛んできた。スタッフに展示品だけじゃなくホールすら撮影禁止なのはなぜかと尋ねたら「そういう規則になっています」というびっくりするくらいアホな答えが返ってきた。こっちは「なんでそんなしょうもない規則になってんねん?」ということを聞いとるんじゃ。博物館というのはサービス業なんだよ。カビの生えた官学アカデミズムにあぐらをかいてふんぞり返ってるだけの馬鹿なんじゃないか。それが東大のやり方だというなら東京駅前の一等地になんぞ居座ってないで無駄に広い東大へ帰れよ。国宝だってフランスに貸し出したら撮影自由なんだよ。

ヴァン・ゴッグ財団正面 屋上テラスから見下ろしたパティオ
カマルグの風景 鏡に映った現代アートに参加