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港町マルセイユ
アルルからはいったんプロヴァンスを離れ、アリボのボンボンで子守に付き合わされた友人と在仏日本人の友人を訪ねるためトゥルーズに向かった。トゥルーズに2泊するあいだ面白いこともいろいろあったのだが別の機会に譲ることにする。
トゥルーズからマルセイユMarseille まではニース行きのTGVで4時間ほどだ。マルセイユ・サン・シャルル駅Gare de Marseille Sainte Charles は高台にあって予約しているホテルは旧港Vieux Port のまん前だから距離は近いがかなりの高低差がある。駅前でタクシーに乗ろうとしたら運転手が「週末は下町へ行く協定料金が20ユーロもするんだよ。そのホテルなら歩いた方がいいんじゃない?」と気の毒そうな顔で言う。でも、我々ときたらレンタカーで周っている間に行く先々の博物館で本を買い込み、あっちでもこっちでもワインを仕込んだものだから荷物が重くて、歩く気なんかこれっぽっちもなくしていた。
ホテルで荷物を解いてすぐに港のオフィス・ドゥ・トゥーリズムへカランク・クルーズを申し込みに行ったが、当日の便は残念ながらすでに満席だった。カランクCalanque というのはマルセイユの東に連なる絶壁の海岸のところどころに深く切れ込んだ入江のことでマルセイユの旧港もそのひとつなのだが、海岸に平地があって港として整備する条件が整っていたためにギリシャ時代から開発されたものだ。クルーズ船で海上から自然のままのカランクの絶景を愛でようと思っていたのだが、マルセイユ発のクルーズは土日と木曜に1便づつ週3便しかない。カシまで行けばたくさんの船があるというので行こうと思ったがバスの時間帯がよろしくない。あとの行程を無視すれば行って行けないことはないのだが後ろ髪をひかれる思いであきらめ、翌朝のイフ島行きの船を予約した。
で、その日はまずプチ・トランに乗ってバジリク・ノートルダム・ドゥ・ラ・ギャルドBasilique Notre-Dame de la Garde を訪ねることにした。ホテルの前から出発したプチ・トランは港の南岸を巻いてサン・ニコラ要塞Fort Saint Nicolas の前を過ぎ、丘の頂上の大聖堂を目指す。ノートルダム・ドゥ・ラ・ギャルドはマルセイユの象徴とも言うべき大聖堂で、尖塔のてっぺんで金色に輝くマリア像は親しみを込めて「良いお母さん」Bonne Mère と呼ばれている。建築は19世紀のロマネスク・ビザンツ様式だ。心廊の天井は白と赤の大理石を交互に組み合わせたアーチが支える巨大なドームで金を多用した豪華な絵で埋め尽くされているが、古いロマネスク建築をたくさん見てきた後なのであまり心を打つものはなかった。堂内にはたくさんの船の模型や難破船の絵が飾られている。これは海難事故で助かった人たちや安全な航海を感謝する船乗りたちが奉納したもので、尖塔頂部のマリア像は海の安全を守る「良いお母さん」というわけだ。外に出ると眺めが素晴らしい。どこまでも青い地中海と沖合に浮かぶイフ島Îlle d’If やラトノー島Îlle Ratonneau の石灰岩の山肌が白く輝いている。
そこから地中海考古学博物館Musée archéologique Méditerranéeに向かった。17世紀の救貧院の建物を改装した博物館で、ギリシャ、ローマ時代の名品をいやというほど展示している。それ以外にもオリエントやエジプトなどの考古資料やアジア、アフリカ、中南米の民族資料の部屋もある。中米の干し首がいっぱい展示されている部屋があったのには驚いた。どうもこの博物館全体のコンセプトは珍品主義で、金持ちの好事家のコレクションを時代と地域だけ分けて並べているにすぎない。いいものがたくさんあるのにアカデミックな香りがしないつまらん博物館だ。
救貧院の建物は興味を引いた。中庭の中央にある礼拝堂を囲むようにロの字型に病棟が配置されているのはフランス各地に残る救貧院と同様で、ここはそのオリジナルな姿がよく残されている方だと思う。
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ノートルダム・ドゥ・ラ・ギャルド |
船の模型がたくさん吊るされた身廊 |
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黄金のドーム型天井 |
地中海考古学博物館 |
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