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ワイン街道をヴェゾンへ
セナンク修道院からカルパントラCarpentras を経てヴェゾン・ラ・ロメーヌVaison la Romaine に向かう道沿いはモントゥーMonteux 、ボーム・ドゥ・ヴニーズBeaumes de Venise 、ヴァケラスVacqueyras 、ジゴンダスGigondas 、ラストーRasteau といったローヌ右岸の銘醸地が銀河のように連なるワイン街道だ。片っ端から立ち寄って試飲したかったのだが、先を急ぐ旅ゆえ素通りせざるを得なかったのは残念だった。また来なくてはならない理由が増えてしまったな。
ヴェゾンはウヴェズ川l’Ouvèze の両岸に街が広がっている。現在の市街地は川の北側の平地にあるが、この街のど真ん中にローマの遺跡が広大な面積を占めている。半円形の劇場や、ポンペイウス神殿、個人の邸宅に商店街と、発掘されていない場所も含めるとガロ・ローマの植民都市遺跡がまるまる残っている。パン屋の跡には粉を保管するための巨大な甕が座っていたりして、石畳の道を歩くと当時の情景が本当によく想像できる。古代劇場も全体的に遺存状態がよく、客席最上部のテントを張るための柱穴がよく残っている数少ない例である。ポンペイウス神殿にはたくさんの石像が立っているがこれはレプリカで、本物は遺跡のそばの考古学博物館に展示してある。
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古代劇場 |
劇場のトイレ |
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ヴェゾンのローマ遺跡 |
ポンペイウス神殿 |
遺跡の東側にノートルダム・ドゥ・ナザレット大聖堂Cathédrale Notre-Dame-de-Nazareth がある。ここもシトー会の聖堂で南仏ロマネスク建築だ。ローマ神殿の遺跡の上に建てられたため、神殿の石材がたくさん再利用されている。ファサードから入った正面に据えられている聖水盤は神殿の柱頭の上部を彫り窪めたものだし、聖堂の建築を始めた時にはまだ立っていた柱が心廊の脇に床を貫いて立っていたりして見あきない。
興味を引いたのは、聖堂の隅に無造作に置かれている石棺の蓋の中に組紐文のレリーフを施したものがいくつかあったことだ。組紐文はケルト特有のモチーフである。おそらく12世紀を降らない時期のものだと考えられるが、ローマに征服され、のちにキリスト教に改宗して千年余りを経てもなお、民族の伝統を捨てなかったガリア人がいたのだということに感動すら覚えた。例によって内部には一切装飾はなく、祭壇すらない。唯一純白の大理石の聖母子像だけが光を放っているが、これは後世に付け加えられたものだ。
この大聖堂、日常は使用されていないのだが、キリスト教の重要な祭日に はミサが行われる。おりしも訪ねた日曜日は復活祭だったので、たくさんの信者が集まり少年少女の聖歌隊も出て往時の活気を体感することができた。
ウヴェズ川南側の岩山の斜面には中世の街が広がっている。ここは8世紀以降たび重なるアラブの侵入や宗教戦争の騒乱を避けるために築かれた街だ。現在残っている建物は新しくても18世ごろまでのもので、道路の配置などは中世の街並みがそのまま残っているといってもいい。中世そのままに入り組んだ急坂の石畳の道の運転には神経を使った。
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中央に孔雀を描いた鳥のモザイク |
同、部分 |
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海の怪物ヒドラ |
唐草と花 |
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