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山上の砦
オランジュから国道9号線を南下してローヌ川を渡るとそこはもうラングドック・ルシヨン・ミディピレネー地域圏Languedoc-Roussillon-Midi-Pyrénée のガール県départememt Gard だが、気候風土も歴史もプロヴァンスと深いつながりを持つ場所だ。ここまでずいぶんたくさんのローマ遺跡を見て頭の中が飽和状態になりつつあるが、まだ半分だ。いよいよガリア・ナルボネンシスの中心地に入っていく。
この日はポン・デュ・ガールPont du Gard に通じる水道の水源地があるユゼスに向かうのだが、途中古代ローマの山砦2か所に立ち寄った。まず、オランジュのほぼ真西、ローヌ川を渡ったところにあるロダン・ラルドワーズLaudun-l’Ardoise という町の北西の山上にあるオピドゥム・ドゥ・ロダンOppidum de Laudun 。ここは別名「シーザーの野営基地Camp de César 」とも呼ばれている。長辺30㎝ほどの比較的小ぶりな割石を積み上げた兵舎の壁がよく残っていて、浴場の跡などもある。砦の中の道もしっかりした石畳だ。設置された説明版もていねいで、町に近くアクセスも容易なので結構な数の見学者が訪れていた。
それにしても抜けるような青空で暑いくらいだ。オピドゥムから下って町の中心にあるカフェでパスティスを一杯ひっかけながらサンドウィッチの昼食を食べていたら、店の中でポーカーに興じていた親父の一人がかわいい仔犬を抱っこして話しかけてきた。「親父さんの犬かい?」って聞いたら「いや、この店の犬で俺の幸運の女神なんだが、今日はついてないね。」みたいなことを言ってるらしい。連れ合いによるとかなり訛りがあるそうだ。「じゃあツキが戻るように一杯おごろう」と言ったら、「ならコーヒーをもらうよ」とずいぶん遠慮深い。しばらく話して「アビアントゥ」って別れたのだが、この親父、ポーカーのテーブルに戻って「遠くからきた日本人と友達になってコーヒーまでおごってもらったから、俺は今から勝つぞー」ってわめいてたらしい。
このカフェの向かいに小さな教会がある。後世の手がかなり入っているが、平面形が半八角形の後陣と塔に古いロマネスク様式が残っている。ここで女性たちがバザーを開いていた。いろいろ手作りの品を売っていたが、戸口のベンチで一所懸命レース編みをしていたおばあさんの姿に惹かれてレースの小物をいくつか買った。
次に訪れたのはロダンから5㎞ほど西のゴジャックGaujac という小さな村はずれにある山砦で、どんどん山道に入ってゆくとオピドゥムのあるサン・ヴァンサンMonte Saint-Vincent という山はキャンプ場のあるトレッキングコースになっていて、案内板のあるところからはでこぼこの林道に踏み込んだ。轍があるのを信じて登って行ったが対向車が来たらどうにもならない山道だ。いきなり前方に石積みの城壁が現れて、林道が石畳のローマの道になっている。車で行けるのはここまでで、小さな退避所に車を突っ込んでローマの道を歩く。このオピドゥムはさして広くはないのだが、城壁をすりぬけて登り切った先にはアポロン神殿の跡がある。今は石灰岩の基壇と礎石が残るだけだが立派なものだ。草むしてよくわからなくなっているが、兵舎や指令所に浴場の跡まである。そこいらじゅうに瓦やレンガの破片が散らばっているから、建物もちゃんとしたものだったことが分かり、前線基地の不自由な暮らしといった印象はない。説明書きによると、ここにはローマの征服以前にケルト人の築いたオピドゥムがあって、そこをローマ人が再整備したものだという。
訪ねたのは金曜日だったが、我々が見学している間誰も来なかった。説明板もきちんとしたものが立てられているのに訪れる人は少ないのだろう。「ここを勝手に発掘すると罰せられます」なんて注意書きもあるのだが、そのそばにいくつも盗掘の跡があったのはいただけなかった。
二つのオピドゥムを見て感じたのは、ガリア戦争を描いた映画などでよく目にする幕営などというものは本当に戦場だけの話で、司令官以下部隊が集結する砦は、神殿や浴場、そしておそらくは酒場や娼館まで備えた「城」であり、それもローマ軍の強さの源泉だったのではないかということだ。 |