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ラヴェンダー畑に建つセナンク修道
セナンク修道院L’abbaye Notre-Dame de Sénanque はゴルドの北2㎞ほどのところにある。谷あいの細いくねくねした道の突き当たりに結構広い駐車場がある。前日に訪れたシルヴァカーヌ修道院はひっそりしていたが、ここはツアーバスや乗用車でいっぱいだ。車のナンバープレートを見ると、近隣のヨーロッパ各国の車がかなり混じっている。駐車場から修道院に向かう遊歩道の両脇には一面のラヴェンダー畑が広がっていて、その向こうに直線的で装飾のないロマネスク建築が凛とした姿で建っている。四月なので枯れたラヴェンダーの茎が風に揺れているだけだったが、夏の花の時期にはどれほど美しいだろうと想像がふくらむ。
ここもプロヴァンスの三姉妹のひとつに数えられているが、シルヴァカーヌのような遺跡ではなく11世紀から今に続く現役の厳律シトー会(トラピスト修道会)の修道院で、現在も少数ながら修道士たちが厳しい修道生活を行っているのだという。
中に入って受付で聞くと、ガイド付きの見学は一回50人に制限されていて今だと2時間待ちだと言われた。明るいうちに今日の宿泊地に着かなければならないから内部見学はあきらめてホールに展示されている写真を眺めるだけにとどめ、修道士たちが作っているというラヴェンダー入りの石鹸や匂い袋を土産に仕入れて外観だけ見て回った。外側は全く装飾のない石の壁がそびえ立っていて、まるで監獄のような印象だ。ファサード上部の丸窓も他の窓も小さく、ステンドグラスというにはあまりに質素な色のないガラスがはまっている。展示してあった写真では回廊の柱頭に唐草の彫刻があるあたり、シルヴァカーヌ修道院よりは装飾性があるようだ。心廊のアーチなどに初期ゴシックの要素が見られる点は共通している。
シトー会はカトリックの一派だが、目と鼻の先にあるゴルドはドイツで始まった宗教改革運動をいち早く受け入れたワルドー派の拠点だった。そのためこの修道院はカトリックとプロテスタントの対立抗争とされるユグノー戦争のさなか1533年にワルドー派の焼き打ちにあっている。修道士全員が絞首刑の処せられたということで、14世紀に教皇庁がおかれていたアヴィニョンに近いことから、「教皇様のおひざ元でなんちゅうことさらすねん」というような衝撃的な事件だったらしい。
ユグノー戦争自体カトリックのブルボン家とプロテスタントのギーズ家の王権の奪い合いであるとともに、スペインとイングランドとの利権争いの代理戦争であり、醜悪な権力抗争、利権争いに宗教対立をからめたものだから、純粋に教義をめぐる争いなどとは到底呼べないものだ。教会の腐敗ここに極まれりということだな。
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セナンク修道院
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