Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
パリに戻って考えてみた1 パリに戻って考えてみた2
はじめに
やっぱりフランス旅は
いきなり面白い
ブルトン
またはケルトの国
メガリス Megalithes
ブルターニュ公国の古都
小さな海 
―mor bihan―
メガリス研究発祥の地
地の果て Finistere
ブルトンの村・建築
ブルターニュの最深部
―フィニステール北岸―
谷の町モルレー Morlaix
パリに戻ってさらに考えてみた
パリに戻ってさらに考えてみた3

 ずいぶんフランスの悪口を言ったようだが、文化政策に関してフランスは先進国である。それは国主導で行われており、莫大な国家予算がつぎ込まれている。もう一方の極にある国がアメリカで、文化芸術に関することは民間人主体の団体が民間からの寄付で行っている。フランスは文化遺産の保護には国が責任を持つという態度であり、アメリカなどではそれは国民の責任において行われるものだという考え方で、両国とも文化芸術全般にわたってそういった考え方をしている。今ここでその優劣を問うつもりはないが問題は日本だ。2002年に国が定めた「文化芸術の振興に関する基本的な方針」の中の文化芸術に関する財政措置の項では、国と民間双方がそれぞれの立場でできることをやり合いましょう。と言っている。聞き流してしまえば耳障りは悪くないかもしれないが、これは国家財政の悪化を盾に責任の所在を曖昧にしたもので、貧すれば鈍するとはこのことである。民間の芸術団体などにわずかばかりの補助金をばら撒くことで国は手綱を握っているつもりだろうが、責任放棄は明らかだ。だいたい長引く不況で企業のメセナ活動が低迷を極めている中、民間の財布に頼って世界に通用する高いレベルの文化施策が期待できるはずがないじゃないか。

 あちこちに考えが飛んでしまって、結局のところブルターニュのメガリスの扱いについてはっきりした答えはまだ得られていない。まあ、簡単にわかってしまってフランスへの興味が半減しても困るのだ。フランス国内にはコルシカだとかバスクだとかまだまだまつろわぬ民の国があるわけだし、アルザスのようにドイツとの間でやったり取ったりされた地域にも興味がある。

さらに興味を引かれるのは、「黒い聖母」や「聖アンヌ崇拝」など東方キリスト教の影響を受けたとされるものがカトリックの牙城であるフランスの各地に残っていることだ。何度かのフランス旅でフランス人に対する親近感が湧いたことも事実だが、同時にヨーロッパがわれわれにとってまったくの異文化の世界であることも改めて実感した。ヨーロッパへの理解をより深めるためにキリスト教を知ることは欠かせない作業だろう。ヨーロッパの人々の行動規範の最大の精神的支柱がキリスト教だとよく言われるが、その成立、伝播を知る上で東方キリスト教についてももう少し勉強しなくてはなるまい。

実は、東方キリスト教を定義するのはそう容易なことではないのだが、誤解を恐れずに簡単にまとめてしまうと、現在東方正教会、あるいは単に正教会と呼ばれるものは古代キリスト教の流れを汲むもので、後にビザンツ帝国となるローマ帝国の東方属州地域で発展したキリスト教である。ギリシャ正教が有名だが、英語のOrthodox Church の語源であるギリシャ語のOrthodoxia は「まっすぐな(正しい)教え」という意味で、我らこそ正統なキリスト教であると主張するものだ。
一方西方キリスト教というのはあまり聞かない言葉だが、これは当然ローマ・カトリックとその分派であるプロテスタントを指す。宗教改革がヨーロッパの人々の精神形成に多大な影響を及ぼしたことは確かだが、時代の下るプロテスタントについては今はさておくことにする。
当然ながら古代キリスト教の時代には東方と西方が別れていたわけではない。コンスタンティノポリスがキリスト教世界の中心だった3・4世紀以降は教義を確立するための異端論争の時代と言ってもよく、コンスタンティノポリス、ローマ、エルサレム、アレクサンドリア、アンティオキア(古代シリアの首都)の5都市の総主教による指導体制(ペンタルキア)のもと、教義を整理していったのだが、7世紀以降はエルサレム、アレクサンドリア、アンティオキアの3主教座が置かれた都市がアラブの支配下に組み込まれることで没落したため、ローマとコンスタンティノポリスがキリスト教の2大勢力となった。このとき以降、ローマ・カトリックはバチカンを頂点とする巨大なピラミッド構造の教団として発展していき、一方、正教会は教会あるいは正教会各派の集合体になっていくという違った発展の仕方をするのである。
両者は典礼の違いや教皇権の主張などを巡って次第に対立を深め、1056年互いに破門状を投げつけあうことでついに東西教会は分裂したのである。この分裂は1965年にバチカンと正教会各派が和解するまで900年以上続いたのだから大変なものだ。
だからどうなんだ、フランスにおける東方キリスト教の影というものの意味は何なんだ、と問われるとその辺はまだ混沌としている。
 ほかのヨーロッパの国々や中東にも行動範囲を広げたいという気はあるのだが、フランス通いは当分続けねばならんだろうな。       
                           (完)