Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
はじめに
旅のはじめでいきなりつまずいた
地中海世界
ローマ属州
ガリア・ナルボネンシスの玄関 ―マルセイユからサン・レミへ―(1~3)
写真
天空の城と石の家
ラヴェンダー畑に建つセナンク修道院
ワイン街道をヴェゾンへ
オランジュ ―ローマが息づく街―
山上の砦
ユゼスからポン・デュ・ガール
ガリア・ナルボネンシス最初の植民都市
聖地への道の起点 ―サン・ジル―
ローマ、聖地、そしてゴッホ
港町マルセイユ
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
旅の終わりに
あとがき
 聖地への道の起点 ―サン・ジル―

 ニームからアルルへはほんの40㎞ほどのドライブだ。途中寄り道してサン・ジルSaint Gilles に寄ることにした。フランス国内の4本のサン・ティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路のうち一番南の道はサン・ジルの道またはアルルの道と呼ばれている。
サン・ジルは小さな町だが、ここには11世紀創建の壮大なベネディクト会の大修道院があった。16世紀の宗教戦争で大半が破壊されたが大修道院付属教会Abbatiale Saint Gilles だけが今も残っている。実はこの教会も宗教戦争でかなり破壊されたのだが、元の部材がよく残っていたため17世紀には再建された。ファサードの間口が広く、朱色に塗られた重厚な扉を持つ入り口が三つ並んでいる。それぞれのタンパンのアーチと帯状装飾に施された聖書の物語を描いた彫刻がよく残っているし、入り口の間の壁に並ぶ
 十二使徒像も見事としか言いようがない。よく見るとロマネスク彫刻にしては実に写実的な表現で、ローマの彫刻の影響を受けていることがよくわかる。この教会は7世紀の聖人ジルの墓の上に建てられたもので、今も心廊の地下にはサン・ジルの巨大な石棺が安置されていて灯華が絶えることがない。その脇の壁には巡礼を成し遂げた人々が奉納した記念プレートが無数にはめ込まれており、たくさんの巡礼杖が立てかけてあるのが印象的だった。裏へ回ると、かつての後陣部分はすっかり破壊されて見る影もない。祭壇の残骸や堂内に納められていたであろう石棺などが雨ざらしになっていて何か物悲しい。
現代も続く宗教紛争や差別事例を見聞きするたびに人間は歴史から何も学んでこなかったのかと暗い気持ちになってしまう。本当のところ純粋な宗教対立などないのだ。どの宗教にも教義をめぐる論争は昔からあった。そこに利権や富が絡むことによって権力と結びつき、殺し合いの理由に使われるなどというのは愚かを通り越してあさましいことだと思う。カトリックだってプロテスタントだって要はキリスト教だし、キリスト教そのものが元はといえばユダヤ教の一派じゃないか。イスラームだってキリスト教と深いつながりがあるものだ。本来魂の救いを求める道であるべきものだろう。宗教を哲学だというならそれらしいことをしろよと言いたい。戦場に行く兵士を祝福するようなことだけでもやめれば、少しは宗教に対する見方を変えてもいいのだがね。
 閑話休題。サン・ジルからアルルに向かう国道572号の南側には、ラムサール条約で登録された広大なカマルグ湿原Plaine de la Camargueが広がっている。アルルの少し北で分流した大ローヌと小ローヌが形成したこの湿原には多様な生物種が保たれているからだ。ここはまたフランスで一番の米の生産地でもある。米は野菜と同じ扱いで、サラダや付け合わせにする。サラド・カマルゲーズなどカマルグの名をつけた料理には米が使われていると思って間違いない。