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パリに戻ってさらに考えてみた2
翻ってブルターニュのメガリスを見ると、確かにオーセンティシティーの問題は否定できない。中世以降メンヒルに十字架を乗せたり刻んだりしたものはたくさんあるし、ミルンやルジックの行なった修復は、捏造とまでは言わないが場合によっては修復の枠を超えたものがある。倒れた列石をなぜ倒したままにしておかなかったのか、封土の失われたドルメンを再び土や割り石で覆う必要があったのか?という疑問は誰しもが持つものかもしれない。そういう理由でフランス政府が躊躇している可能性はある。
しかしそれだけでは割り切れない思いも残る。第2次世界大戦で破壊された聖堂が半ば以上新たな石材で再建された挙句世界遺産に登録された例はいくらもあるし、ガリア・ローマの遺産など後世もっと手の入っているものもある。
ブルターニュのメガリスは分布する範囲の広さもさることながら、保存状態もそれぞれが所在する周辺(バッファゾーン)の環境も決して悪くはない。指定文化財になっているものもたくさんあるから「国内法による保護」という条件も満たしている。
何より驚いたのはその技術だ。巨大なメンヒルの重心をとって立てたり、巨石によるドルメンを構築したりそれを覆うケルンの工事量は初期のピラミッドにも匹敵するものだ。これをして文明と呼ばないのは、文字が無いからという一点だけなんじゃないのかな?文字なんて同一言語を話す民族で形成された社会では必要無いといえば無いんで、歴史だって口承で伝わっていくのである。書かれた歴史がないという理由で欧米人がアフリカを暗黒大陸と呼んだことなど唾棄すべき思い上がりだ。現代日本の識字率など世界的に見れば異常な高さであって、ましてや古代中国やエジプトなど文字を持つ文明社会と言ったって読み書きできた人間なんかほんのひとつまみだろう。
フランス政府がメガリスを世界遺産の暫定リストにも挙げていないのはどうしてなのかという感をますます深くした。
フランスの旧石器時代研究は世界のトップレベルだと前に書いたが、これは世界に誇る壁画洞穴があるから、あるいは現代人の直接の祖先であるクロマニョン人発祥の地だからというプライドがそうさせているんじゃないか。一方で新石器時代の研究が低調なのは、フランスの歴史はゲルマン民族大移動からと考えているフランス人がかなりいるかららしいなどということを聞くとこれもヒントとなる。ひとつ感じ取れたのは、学術書とまでは行かないがけっこう専門的にメガリスのことを書いた本の中に「異教徒の遺跡」という言葉がしばしば見られることだ。キリスト教なんか影も形もない新石器時代のものなのだから異教徒もくそもあるかいと思うのだが、フランス人あるいは多くのヨーロッパ人にとって西アジアに起源を持つ新石器文化はいわゆる四大文明の母となったものの、ヨーロッパはその辺境、さらに辺境であるブルターニュのメガリスだってそのあとに続くケルト人どもに受け継がれていった異教の産物だなどという間違った認識をしていることが多いんじゃないのかな。
歴史の波に翻弄されてきたブルターニュは、いまだにフランスの中の異邦、まつろわぬ民の国というような一段低い扱いを受けているのではないか。そんなひどく低レベルなところで結局国がメガリスをちっとも大事に思ってないんじゃないかなどということまで考えてしまった。
こんなことまで言ってしまうとフランス人の反論が聞こえてきそうだが、聞いてみたいねえ。どうもブルターニュのことをよく知らないフランス人が多いんじゃないかという気がしている。フランス政府観光局の日本向けホームページを見ても、ブルターニュの見どころとしてはレンヌとカンペールとサン・マロしか紹介されていない。つれあいがあるインテリの在日フランス人にカルナックへ行ってきたという話をしたら、エジプトのカルナック神殿だと思われたらしい。フランス旅行の話の流れでしゃべっているのに何でエジプトなんだ。相手はブルターニュのどこへ行ってきたの?と聞いているのにエジプトだなんて、この人フランス語が聞き取れているのかしら?と思っただろうし、つれあいはブルターニュでカルナックを知らないなんてパリのインテリなんてこんなものなのかな?と思ったらしい。
コミュニケーションて難しいもんだね。
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