Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
はじめに
旅のはじめでいきなりつまずいた
地中海世界
ローマ属州
ガリア・ナルボネンシスの玄関 ―マルセイユからサン・レミへ―(1~3)
写真
天空の城と石の家
ラヴェンダー畑に建つセナンク修道院
ワイン街道をヴェゾンへ
オランジュ ―ローマが息づく街―
山上の砦
ユゼスからポン・デュ・ガール
ガリア・ナルボネンシス最初の植民都市
聖地への道の起点 ―サン・ジル―
ローマ、聖地、そしてゴッホ
港町マルセイユ
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
旅の終わりに
あとがき

 
港町マルセイユ
 
 昼食もやっぱり魚介料理がいいなということで旧港近くの路地の奥にあるエカイエÉcailler (カキ打ち屋)という名前の小さなレストランに入り、パナシェ・ドゥ・コキヤージュPanaché de coquillages というシーフードの盛り合わせとアサリのスパゲティを頼んだ。盛り合わせはブルターニュなどで食ったプラトー・ドゥ・フリュイ・ドゥ・メールをコンパクトにしたようなもので、生のカキ、アサリ、ムール、茹でたバイガイなどを並べた真ん中に茹でたカニとエクルヴィスが鎮座している。鮮度は抜群だ。ドメーヌ・デュ・パトゥルネ2005というカシの白ワインと一緒に食ったが、ほんのりした果実の甘みと香りに軽い酸味のバランスが絶妙で生ガキとも喧嘩しない。白ワインは辛口一本やりという人がよくいるが、生の魚介類に関する限りわずかな甘味が必要だと思う。辛口ワインに付きものの酸味と豊富なミネラルは往々にして魚介の生臭さだけを引き立てる結果になりやすい。まともな日本酒ならどんなに辛口でも刺身や貝類と喧嘩することがないのは米の酒特有の甘味があるからだと思う。シャンパンも近頃は極辛口のブリュットばかりがもてはやされるが、シャンパンらしいシャンパンはドゥミ・セックだとかたくなに信じている。
 昼食にたっぷり時間を使って英気を養ってからマルセイユ歴史博物館Musée d’histoire de Marseilleへ行った。行ってみるとすごくモダンなショッピングモールの中に博物館がある。食品売り場が明るくて充実しているのを見てまずそっちに引っかかってしまった。基本的にはマルシェと同じ構造なのだが、肉屋や魚屋は銀行みたいに番号札をもらって自分の番号が呼ばれたら注文するシステムになっているのが面白い。野菜や果物は自分でポリ袋に入れて秤についている商品名のボタンを押してから重さを量り、打ち出された値札を貼ってレジに持っていく。
 で、博物館だが、このショッピングモールの一階の半分を占めている。この建物が計画された時の発掘調査で保存状態のいい港湾施設の遺跡が発見されたために博物館を併設することになったのだそうだ。館の前庭は周囲の地表より2m以上低くなっているが、なるほどそこに石積みの立派な船着き場が発掘当時のままの姿で公開されている。そのそばには浴場の跡もあって大半は博物館の地下に潜りこんでいる。ショッピングモール全体は2階建てで地下駐車場もない。遺跡の破壊を最小限にとどめるためピロティ方式で建築されたことがわかる。博物館の中には多くの遺物とともにローマの木造船が展示されていた。それほど大きな船ではないが、展示されている写真をみると全長60m以上はあろうかという大きなガレー船も出土していた。現在の旧港の岸壁から100mほどの場所なので地下水位が高く木製の遺物がよく残ったのだろう。外で見た浴場跡はやはり石と煉瓦とコンクリートで建てられていた。よく見るとアルルなどで見たコンクリートと大きく違う。内陸に入った川の流域では骨材は砂利だったが、ここでは砕いたレンガや土器の破片と焼いた動物の骨や貝殻がたくさん混ぜられている。海岸が切り立った断崖ばかりで大きな河川も遠いことから大量の砂利を確保することが困難だったために知恵を働かせた結果だろうが、これだけの瓦礫を確保できたのは港湾都市だからということも関係がある。当時属州各地やローマから来る物資の中にはワインやオリーブオイル、魚の塩漬け、魚醬などアンフォラという壺に入れて運ばれたものがたくさんあり、陸送のために別の容器に入れ替えたり加工工場に収められたりした後大量のアンフォラが廃棄された。その破片が骨材として役に立ったわけだ。ローマのコンクリートにもいろんな規格があるんだとわかって興味深かった。強度的にはどうだったんだろう。それにしても二千年の時を経てコンクリート造りの建物が残っているということには驚嘆させられる。

パナシェ・ド・コキヤージュ  

エクルヴィス

マルセイユ歴史博物館

船着き場の遺構