Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
すごそうなおやじ 谷底の町 興奮の露天市 カフェ・オーロラは毎晩最高 モルレーでまた考えた
はじめに
やっぱりフランス旅は
いきなり面白い
ブルトン
またはケルトの国
メガリス Megalithes
ブルターニュ公国の古都
小さな海 
―mor bihan―
メガリス研究発祥の地
地の果て Finistere
ブルトンの村・建築
ブルターニュの最深部
―フィニステール北岸―
谷の町モルレー Morlaix
パリに戻ってさらに考えてみた
カフェ・オーロラは毎晩最高

さて、話はオーロラだ。
市役所の裏のメインストリートをまっすぐ歩いていくと「アンヌ王妃の家」のある“城壁通り”rue du Murに出るのだが、この通りから広場に降りていく路地の角にL’Air du Temps という店がある。直訳すると「時の風」と言うような意味だが、vivre de l’air du temps という慣用句がフランス語にはあり、「霞を食らって生きる」と訳されるから、霞のような実体のないものを示す言葉だ。ところがこの店、一歩踏み込むと壁一面の棚にブルトンビールやブルトンウィスキー、各種のオー・ド・ヴィーにリキュールがぎっしりだ。蜂蜜やジャム、ブルトン菓子の類も充実していて実体の塊みたいな店である。ここが例のおやじがプロデュースしている店だと気がついた。夕方でもう店を閉めかけていたのだが人当たりのいいきれいなマダムが相手をしてくれて、蕎麦で作ったブルトンウィスキーやランビグ、ポモーというりんごのリキュールなどをしこたま買い込んだ。そこでマダムに「この手のブルトンビールを飲ませるオーロラというカフェがこの近くにあると思うんだが」と聞いたら、跳び上がるほど喜んで「そりゃうちの亭主がこの下でやってる店よ。連れてってあげる」ってんで表へ出た。
路地を下るとアランド広場の角にカフェ・ド・ロロールCafé de l’Aurore というその店はある。一軒の建物だが斜面に建っているため1階がカフェ、2階と3階がマダムの店になっているのだ。カフェの入り口は“抜け道”rue traverse という狭い路地に面している。中はビールを飲む若い客でごった返していて、カウンターの中にいる従業員も若者ばかりだ。例のおやじらしい人物が見当たらないので、マダムにそう言ったら「彼は朝から夕方までしか店にいないの」と言う返事でちょっとがっかりしたのだが、「まあ、明日の朝も来るわ」ということでとりあえずビールを飲むことにした。褐色のMUTINEのambree とCOREFF BRUNE の黒というフィニステール県の地ビールを立て続けに飲んでみたが、どちらもとてつもない旨さだ。
しばらくするとでかい声のいかつい男が満面の笑みでいきなり握手を求めてきた。例のおやじだ。家に帰っていたんだろうが、マダムが面白い日本人が来てると電話したのでほいほい出てきたらしい。「わざわざ日本から俺の店をご指名で来てくれたそうじゃないか、大歓迎するよ。」と抱きしめんばかりの喜びようだ。「バルネネのケルンを見に来たんだがモルレーのことをいろいろ調べているうちにどうしてもあんたに会いたくなったんだ。」とおやじのホームページをプリントアウトしたファイルを見せたらまたまた大喜びで、その上われわれの足元に置いていた酒の瓶の詰まったマダムの店の箱を見て、こんなにたくさん買ってくれたのかいとすっかり有頂天だ。「ちょっと待ってろ」と言って店の奥の狭い階段で上へ上がっていったと思ったら、Tシャツを2枚持ってきて「はいおまけ」だと。さんざん盛り上がっていたら、「アラン、子供たちを家に置きっぱなしでしょ」ってマダムに怒られてやんの。大スターとおんなじ名前だ。

これを潮に店を出ることにし、夕食がまだだったのでどこか安くて旨いものを食わせる店がないか聞いてみたら、「うちのひと筋向こうの道をまっすぐ下っていくと角にウーロプというホテルがあってそこのレストランが旨いよ」と教えてくれた。“大通り”Grand rue という名のさして広くない通りまで送って出てくれて、さらにその辺まで送って行くよと言いつつ結局ホテルまでついてきて、レストランのマダムに「遠くから来た俺の友達だから旨いもの食わしてやってくれよー、わははのはー」と言って帰っていった。

 翌晩もこの店へビールを飲みに行った。もちろんおやじはいなかったのだが、店の若い衆の一人が、勤務時間が終わって横で飲み始めた。ブルトンビールは日本には入ってこないんだけどほんとに旨いなあという話をしていたら、「あんたたちが飲んでるCOREFF BRUNEも旨いけど俺の一番のお奨めはこれだよ」と言ってイル・エ・ヴィレーヌ県の地ビールSAINTE COLOMBE の銀メダルというのを抜いてくれた。こいつがほんのり葡萄のような香りがする深いコクのある小麦のビールで、かつて味わったことのない驚愕の旨さだった。帰り際に「本当に旨いビールを教えてくれてありがとう。このビールの代金は私が払うよ。」と言ったら、「俺から遠来の客への奢りだから絶対受け取れない。」と言うじゃないか。若い酔っ払いたちの喧騒で辟易するようなやかましい店だが、従業員へのしつけはすごく行き届いていると感じた。おやじの人柄かな。この店、前身は1852年創業の料理旅館である。

 話は前後するが、おやじが連れて行ってくれたウーロプの晩飯は牛のほほ肉とジャガイモ、サヤインゲン、人参の煮込みだった。これにパンがつくだけで見た目は質素なんだが、ハウスワインの赤と一緒に食べたらとろけるようなコクがあってさすがアランお奨めの旨さだった。
 ちなみに次の晩はオーロラへ行く前に夕食をすませた。つれあいが牛背肉のステーキアントルコットが食いたいと言うのでレストランの前に掲げてある品書きを見て歩き廻った挙句、市役所近くの肉料理が得意だというDolce Vita というブラッスリーに決めた。ドルチェ・ヴィータという名前からしてイタリア系かな。ブラッスリーの料理は一皿の分量がやたら多いということに何度目かの旅で気付き始めていたので「アントルコットはどのくらいの大きさだい?」と聞いたら、若いお兄さんが両手で30㎝近い輪っかを作る。やっぱりねと思いつつ一皿だけ頼んだ。サラダも頼んだのだがこれも馬に食わすのかというような量である。肉は旨くてハウスワインの赤もすすんだのだが、サラダには大きなマッシュルームの生のスライスがいっぱい散らしてあって、何の味もしない生のきのこのどこが旨いんだろうと思わせた。