Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅱ. ガリア・ローマへ(2010拡大するガリア・ローマ(2010))
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
ガリア・ローマ再訪
ガリア・ローマ再訪写真
美食の都リヨン
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美食の都リヨン 写真
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ローヌの港湾都市
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ローヌの港湾都写真
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黒い聖母と岩山の礼拝堂
 
航空写真で見つけたローマ遺跡
泉の都エクス  写真
教皇庁のあった町 
―アヴィニョン―
シャトー・ヌフ・デュ・パプ
ブドウ畑の中のいい宿
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
旅の終わりに
あとがき

 ローヌの港湾都市

 また、ヴィエンヌはフランスの中でも早くからキリスト教化されたところとしても有名で、旧市街でのもう一つの見どころサン・ピエール教会Égrise Saint Pierre は5世紀に建設されたフランスでは数少ないバジリカ様式の教会である。現在内部は博物館になっていて、ローマ時代から中世の様々な遺物が展示されている。中でもルーヴル美術館シュリー翼の至宝ともいえるうずくまるアフロディテの複製が目を引くが、19世紀にローヌ川対岸の浴場跡から発掘されたものだからである。
この日は駅の近くのIBISという安いホテルに泊まって、近所にあるアリスというブラッスリーで夕食にした。店に入ろうとするとウェイターが中国人ですかと聞く。いや、日本人だよと答えると途端に笑顔になってテーブルに案内してくれた。ちょっと変だなと思って観察していると、中国人の団体客が全員まとまって座れる席を用意しろとごねているらしい。何人かは店の中をうろついて「早く食べろよ」みたいな目つきで人のテーブルを上からのぞき込んだりしている。「あーあ」と思いながら、バブル絶頂期に金にものを言わせて世界中で顰蹙を買っていた日本人もこんなふうだったんだろうなあと恥ずかしくなってしまった。
ヴィエンヌ対岸の現在の地名はサン・ロマン・アン・ガルSaint Roman en Galとサント・コロンブSaint Colombe だが、後世商業地域として発展し続けたヴィエンヌと違って、こちらのほうは広大な田園が広がっていて地下全体に遺跡が残っていると言っていい。橋を渡るとすぐ右側にモダンな博物館の建物が現れる。サン・ロマン・アン・ガル考古遺跡博物館Musée et Site archéologique de Saint-Romain-en-Gal だ。その裏手は発掘された遺跡が整備されて露出展示された野外博物館になっている。あとで館内にある町の模型を見て知ったのだが、この博物館が建っている場所はローヌ川から入り込んだ入江に築かれた大きな港の跡が埋まったところで、ここなら地下の遺構を傷つけることなく建設できたわけだ。
文化週間ということでここも無料だったうえ、ローマ風の衣装を着たたくさんのボランティアがローマ時代の楽器の演奏やアクセサリー製作などを実演していて面白かった。家族で参加しているボランティアなど赤ちゃんまでローマの産着を着せられていて、母親がスパイスをつぶしながらお乳を飲ませている姿がとてもほほえましく絵になっていた。