Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
Ⅱ. ガリア・ローマへ(2010拡大するガリア・ローマ(2010))
Ⅱ. 拡大するガリア・ローマ(2010)
ガリア・ローマ再訪
ガリア・ローマ再訪写真
美食の都リヨン
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美食の都リヨン 写真
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ローヌの港湾都市
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ローヌの港湾都写真
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黒い聖母と岩山の礼拝堂
航空写真で見つけたローマ遺跡
泉の都エクス  写真
教皇庁のあった町 
―アヴィニョン―
シャトー・ヌフ・デュ・パプ
ブドウ畑の中のいい宿
Ⅰ. ガリア・ローマへ(2007)
Ⅲ. 三たびガリア・ローマへ(2016)
旅の終わりに
あとがき

 ローヌの港湾都市

 翌朝新市街にあるパール・デュー駅でレンタカーを借りた。車はシトロエンのピカソという真っ赤な新車で、コンパクトながらなかなかかっこいい。
 リヨンの中心からローヌ川に沿って30㎞ほど下ったところにヴィエンヌVienne という町はある。ローマ時代にはコロニア・ユリア・ヴィエナと呼ばれた街で、ローヌ川の両岸に築かれた大きな植民都市だった。ユリアはカエサルの名を冠したもので、前44年ごろカエサルのガリア征服後に築かれた植民都市であることを示している。
ヴィエンヌは町全体がピペの丘Colline de Pipet という小山の上に乗っかっている。旧市街には古い建物が建て込んでいて道も狭いが、路地を抜けたそこここにリヨンよりたくさんのローマ時代の遺跡が残っている。オフィス・ドゥ・トゥーリズムでレンタサイクルを借りて見て回ったが坂道が多くて結構きつかった。丘の上にあるローマ劇場は残りもよく、現在も毎年7月にジャズ・ア・ヴィエンヌというジャズ・フェスティバルが開催されることで有名だ。その一段上のピペの丘の頂上はオデオン山Monte Odéon という名が付いており、音楽堂の跡があるがこちらは基礎部分の痕跡しか残っていない。そこから北を眺めると、かつて城壁があったあたりにほとんど崩れかけたシャトーが見えるが、これはローマ時代の要塞の跡に12世紀に建てられた山城の遺跡である。劇場から下ると住宅街の隙間のような場所にフォーロムや神殿、浴場などの遺跡が点在している。一番の見どころは町の中心にそびえるタンプル・ドーギュスト・エ・ドゥ・リヴィTemple d’Auguste et de Livie という神殿で、ニームで見たメゾン・カレそっくりの姿で建っている。近世までにかなり崩れていたが、部材が比較的よく残っていたため近代になってから建て直されたものだ。木製の梁などは新しいものだし、奥の壁には再建時に補われた石材が多く使われているものの、往時の姿を忠実に再現している。
 ヴィエンヌにはヌーベルキュイジーヌの旗手ポール・ボキューズやトロワグロ兄弟の師匠で現代フランス料理を完成させた巨匠のひとりであるフェルナン・ポワンのラ・ピラミッドというレストランがあることでも知られている。今は代が替わってメニューもフェルナン・ポワンの時代とは違っているらしいが、それでもミシュランの二つ星を維持している。このレストランの前に本物の小さなピラミッドがある。これは戦車レース場の中央に建っていたもので、エジプトのピラミッドなどとは全然違う塔のような形をしている。リヨンのガロ・ロマン博物館で見た戦車レースのモザイク画にそっくりなピラミッドが描かれていた。
映画ベン・ハーの戦車レースの場面は映画史上の傑作としてスミソニアン博物館に永久保存されている。この場面に描かれた競技場の中央に立っているのはどう見てもオベリスクだ。それもてっぺんのピラミディオンの部分がやたら低い。映画の時代設定は1世紀前半だからエジプトのオベリスクがエルサレムに運ばれていた可能性がないとは言えないが、ローマ人が戦車競技場にオベリスクを立てるとは考えにくい。名作と呼ばれる映画の時代考証にもミスはある。博物館にあった町の模型によると、この近くには大規模な倉庫群があったらしい。ヴィエンヌはローマの都市の要素がすべてそろった一大港湾都市だったのだ。