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オーベルジュに泊まる―田舎では現金が大事―
レゼジーには都合3泊したのだが、二日目まではオーベルジュに連泊した。レゼジーの中心部からサルラ街道を東に行き、フォン・ド・ゴームやコンバレルを過ぎたあたりで県道を北に入ると、ところどころに石灰岩の石切り場跡がある丘陵地に上っていく。小川の流れに沿ってくねくねと続く道は、鹿が出没する新緑の雑木林や兎よけの石垣のある畑地を抜け、農家が点在する小高い丘の上に出る。このあたりは黒ペリゴールでも美味い料理が食べられることで有名らしく、何軒ものオーベルジュの看板が目につく。そのなかでわれわれはヴェレVeyretという宿を予約していた。
海外の旅ではホテルが気楽でいいというが、一泊二食つきの料亭旅館というものにも一度泊まってみたいと思っていて、この考えは本当に正解だった。宿のパンフレットにはAuberge
a la ferme(農家風料亭旅館)とあるが、そのコピーのとおり周囲を広い農地に取り囲まれた中に、石灰岩のブロックと漆喰の外観がどっしりとした木骨石造の伝統的な農家建築を中心に、やはり木骨石造の離れが幾棟も展開している。見渡すと、石灰岩台地特有の赤土の畑に覆われた緩やかな丘が続いていて、ところどころに農家が点在している風景は、いかにもヨーロッパの田舎という感じでくつろげる。ちょうど中庭の桜が満開を迎えていたが、四季折々に美しいところだろうなと思う。
朝、小糠雨がぱらついていたが気になるほどではないので周辺を散歩してみた。水滴のついた季節の花々やのんびり草を食む白馬、農家の軒下で雨宿り中の猫のカップルなど、なんでもないような日常の風景に、もやに霞んだヨーロッパの大地の広がりを思い切り感じながら、いつしか懐かしい既視感にもとらわれていた。
母の実家は信州の松本郊外の村で、小学生のころから夏休みになると遊びに行っていた。扇状地の縁辺にある実家の周辺には縄紋時代中期の遺跡があり、畑で石器や土器を拾ったのが考古学を志したきっかけになったのだが、ふとそんな少年時代の感覚にはまって、ついつい下を見て歩いていたら、あったあった、畑の隅の斜面に耕作のじゃまになる石を捨ててあるのはフランスでもおなじで、そこでシレックス(フリント)の原石を見つけた。見回すとそこいら中に大小さまざまな原石が転がっていて、旧石器時代でも森林でない場所ならいたるところで石器の原材を入手することができたのだろうとわかる。レゼジー周辺がクロマニョン人たちにとって暮らしやすい環境だったのだということが、実感を伴って理解できた瞬間であった。
さて宿だが、猛スピードですっ飛んできて人の周りをぐるぐる回る愛想のいい犬の出迎えで宿に入った。離れはふた間に広いバストイレ付きで、ダブルベッドひとつとシングルベッド三つがあり家族向きである。宿には美人ではないが愛嬌のある、一目で母娘とわかる女将と若女将がいて、感じのいいサービスを提供している。夕食のとき端ぎれで作った小さなポーチを渡された。滞在中自分のテーブルナプキンを入れておくためで、家庭的な雰囲気の演出である。
テーブルには名産の胡桃が盛られた鉢と胡桃割が置いてあり、食前酒のつまみになる。食前酒も胡桃の外皮をブランデーに漬け込んだヴァン・ド・ノワVin
de noixという甘いリキュールを頼んだ。もったりした味だったが、これはこれで地方色というものだろう。
夕食の献立はペリゴールの伝統的な田舎料理で、ジャガイモや豆類が濃厚な味付けに負けないしっかりした素材の味を持っていて驚かされたし、サラダの野菜もどれも旨味が濃く、胡桃油のドレッシングに負けない強さを感じた。メインの皿は豚肉のローストだったが、噛み応えのある旨い肉だった。
朝食はお決まりのパンとコーヒーに、しょっぱい生ハム、数種のチーズ、女将手作りのジャムなどが添えられている。このとき始めて出会ったのがフランス各地で一般的だというフロマージュ・ブラン・フレFromage
blanc fraisで、その名のとおり生の真っ白なチーズなのだが、酸味とほのかな甘みがあり、脂肪分もあって少し固めのヨーグルトのような感じである。コーヒーをかけてみたりジャムを混ぜてみたりいろいろ楽しめる。もうひとつ、ロカマドゥールという山羊のチーズもここで始めて食べた。直径5cm、厚み1cmほどの小さな白カビに覆われたチーズで、皮は薄く中身はねっとりしていて、軽い塩味と山羊乳の濃い甘味のバランスが取れたとてもできのいいチーズだ。癖の強い山羊乳のチーズの中では万人向きの味といえるだろう。
旅の宿の朝食はどうしてこんなに食えるのだろうといつも思うが、この日も腹いっぱい食べてしまった。たぶんけっこう早起きしたり、散歩したりするからだろうと思う。
ただ、クロワッサンもバゲットも焼き立てではなかったし、ミルクは保温プレートにかけっぱなしで膜が張っているなど、少し不満が残ったのも確かだ。次回以降、オーベルジュも何軒も泊まってみなくてはなるまい。
実はこの宿でもっと大きな教訓を得た。トゥルーズで現金をけっこう使ってしまったため、二人合わせても50ユーロほどしか持ち合わせがなくなっていたのだが、大抵のところはカードが使えるだろうと深刻には考えていなかったのだ。チェックインのときからMasuterとかVISAの表示がないことに気づいてはいたのだが、確認してみると案の定カードが使えない。レゼジーの中心には銀行があるということだったので簡単に両替できると高をくくっていたのが大間違い。レゼジーではドルしか両替できないことがわかったのが昼休み明けの1時半だ。
それから大慌てで行く予定じゃなかったペリグーまで走って、まず空港へ行ったら、八尾の飛行場より閑散としていて空港自体が閉まっている。サブマシンガンを持った警備の武装警官が「ここにゃ銀行なんかないよ」とのたまった。またあわててペリグーの中心へ走り、インフォメーションで銀行の場所を聞いて連れ合いが走りまわったのだが、唯一日本円が両替できる国立銀行は3時で閉まっており、他の銀行やホテルではやはりドルしか両替できないということで、万事窮すということになってしまった。
足を痛めていた連れ合いにはかわいそうなことをしたが、こちとらもインフォメーションの前に停めた車に缶詰で、寄ってきた警官に「ココハイツマデモトメテイテハイカン。ハヤクダシナサーイ。」みたいなことを言われて、「じゅすぃじゃぽねー、じゅぬぱふるぱふぉんせ」以外は「嫁はん待ってんねんけど帰ってきよらへんねん。わからんかな?まいわいふごーとぅざばんくや。ちぇんじまねー、しーはずんとかむばっくやねん、わしも困っとるんやがなー。」とわけのわからない関西弁でまくし立てて煙に巻く苦労をしたのだよ。結局警官はパスポートをチェックすることもなく「ぼんぼやーじゅ」って片目つむって行ってしまったから、本質的に旅行者には親切なんだな。
そんなこんなで困り果ててレゼジーに戻り、念のためオフィス・ド・トゥーリズムのCD機でキャッシングを試したら、あれまあ、ちゃんとユーロ札が出てきた。いやあほんとにほっとしたが、もしだめだったら、翌日連れ合いが再度ペリグーまで両替に行っている間人質に置いて行かれたらしい。この騒ぎで予定していたいくつかの洞穴はパスせざるを得なくなったのだから、本当に半日の空白は痛かった。
田舎の旅は現金が大事よ。ほんと。
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