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壁画洞穴と岩陰遺跡
壁画洞穴は一種宗教的な祈りの場であろうとも言われており、人間が居住した場所ではない。一方、アブリと呼ばれる岩陰遺跡は住居の跡だ。ヴェゼール川の流れによって石灰岩の崖がえぐられ、けっこう奥行きのある庇状の地形があちこちに形成されているのだが、そこに旧石器時代人が住み着いたのである。岩陰遺跡には通常壁画など装飾的なものはないのだが、アブリ・パトーとキャップ・ブランは彫刻が残されていることで有名である。
アブリ・パトーAbri Pataudは先史学博物館のすぐ隣にあり、発掘したときの状況をそのままに公開している。岩陰は9mにもおよぶ膨大な量の堆積物で埋まっていて、それを層位ごとに掘り下げた状況が観察できるようになっている。断面をよく見ると、ところどころに焼土や炭の薄層があり、獣骨や石器が散乱している部分があって、オーリニャック期からソリュートレ期にわたる何枚もの生活面があることがわかる。最終のソリュートレ期の生活面を一部残してあるが、そこの壁面に馬や牛の線刻画がたくさん描かれている。岸壁の凹凸を巧みに利用して折り重なるように描かれているのだが、照明の当て方を変えるたびに違う絵が浮かび上がるので嘆声の上げっぱなしだった。ここの傑作は天井に彫られた小さなヤギのレリーフで、きわめて写実的なものだが、凹凸だらけの天井にあって調査者もよく見つけたものだと感心してしまうほど見分けにくい。
この遺跡では埋葬人骨が見つかっていて、洞内にはちょっとクロマニョン人とは思えないぐらいべっぴんさんに復元されたマダム・パトーという名の若い女性の銅像が飾ってある。
キャップ・ブランCap Blancはブーヌ川を少し遡ったところにある。初日に訪れたときは小学生の団体がわんさかいて二日目に出直した。ここはマグダレーヌ期の住居跡だが、壁面に何頭ものほぼ実物大の馬や牛のレリーフが肉厚に彫られていて見事である。当然道具は石器だけだから、比較的柔らかい石灰岩が相手とはいえ大変な作業量で、ただの居住目的の岩陰とは思えないクロマニョン人の執念のようなものを感じさせる。
床面には埋葬人骨のレプリカが原位置に展示されている。「実物は博物館にあるの?」とガイドのお姉さんに聞いたら、「シカゴへ持っていかれちゃったー」とずいぶんあっけらかんとのたまった。シカゴ大学の調査チームが発掘したからだそうだ。
岩陰遺跡は旧石器時代だけでなく、新石器時代から古代・中世を通じて住居として利用され続けた。ほとんどの岩陰には岸壁に方形の穴がいくつもあけられているが、これは角材を差し込んでひさしを作ったり、ステージを作ったりして居住空間を広げたものだ。ロック・ド・カゼールRoc
de Cazelleやロック・サン・クリストフRoque St-Christopheなどでは、旧石器時代からから中世の穴居民の生活をジオラマで見せている。
さらには、現在も少数ながら穴居民はいる。グラン・ロックGrand Rocなどの遺跡には中世の住宅と基本的には同じ構造の民家が貼りついていて住んでいる人がいる。趣味のいいドアや窓の飾りがおしゃれで、けっこういい車が停まっていたりするので、何かポリシーをもって住んでいるんだろうなあと住人の顔を想像してみる。また、岩陰を利用して営業しているレストランやカフェもあって面白いと思った。
ラ・マドレーヌSite de la Madeleineは中世の姿がきわめてよく残っている遺跡で、崩れかけたシャトーの裏手、ヴェゼール川に面した崖面に家畜小屋を伴ういくつもの住居や礼拝堂があり、ひとつの村の体をなしている。面白いのは住居の向かい、川に面した崖っぷちに小さな石囲いで作られたトイレの跡で、排泄物はそのまま川に落ちる仕掛けになっている。
すべての遺跡が完全に発掘されているわけではないので、どの遺跡も今でも旧石器のフレークや獣骨が散布していて、遺跡の匂いがぷんぷんするのが嬉しかった。
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