Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
① 黒い聖母 ②聖アマドゥール ③ロスピタレ村 ④メルベイユ洞穴 
はじめに
トゥルーズToulouse

カルカッソンヌCarcassonne

ロカマドゥールRocamadourと
ロスピタレL’Hospitalet
スーイヤックSouillac
クロマニョン人の故地
あとがき―パリにて―
附:この旅で訪れた世界遺産
ロスピタレ L’Hospitalet―巡礼者の救護所―

  ロカマドゥールの門前町からなだらかな山道をたどると、石灰岩台地の開けたところにロスピタレ村がある。その名が示すように巡礼者のための救護所があった村で、こちらが本来の門前町である。病院や宿泊所、礼拝堂などがあったが、病院跡は外壁だけを残して遺跡化している。外壁の外側に小さな墓地があり、地上に石棺が3個露出しているのが印象的だ。一角にあるサン・ジャン・バティスト礼拝堂Chapelle St- Jean Batiste は一見崩れかけた廃墟に見えるが現在も使われているようで、しっかりした木の扉が閉まっていた。
救護所跡の筋向いに石造で石葺きとんがり屋根を載せた門衛詰め所のような感じの小さな円形の建物がある。なんだろうと思って入ってみたら村の公衆トイレだった。周囲の遺跡となんの違和感もなく調和しているのが驚きだ。ちょっと見ただけではわかりづらいが、多分古い石材を使っているのだろう。

往時の巡礼は、たとえばル・ピュイからであれば、1,000㎞あまりの距離を聖地や聖人ゆかりの地をめぐりながら、ただひたすら徒歩でサン・ティアゴ・デ・コンポステラを目指すものだった。途中病に倒れることもあったろうし、辺鄙な山道では追いはぎに襲われることも度々だっただろう。命がけの大事業だったことは想像に難くない。サン・ティアゴ・デ・コンポステラの巡礼道沿いには、フランスであれスペインであれ教会に付随した救護所兼宿泊所が随所に設けられているが、このロスピタレ村もそういった施設のひとつだった。ロスピタレ村のインフォメーションの向かいにある広場には今は何もないが、ここも救護所があった場所だ。この広場から渓谷越しに望むロカマドゥールの眺めが最も美しいと言われるが、遠路を歩きつかれてロスピタレにたどりついた巡礼者たちにとって、温かい食事とベッドでの眠りにありついた翌朝、谷の向こうで朝日に照らされたロカマドゥールは、本当にサンクチュアリというにふさわしい神々しさでその目に映ったことだろう。