Ecole de français du Kansai -Traduction, Interprétariat, Guide-
異境ブルターニュ ブルトンの歴史 ブルトンの紋章  ブルトン語 ブルトンの宗教
はじめに
やっぱりフランス旅は
いきなり面白い
ブルトン
またはケルトの国
メガリス Megalithes
ブルターニュ公国の古都
小さな海 
―mor bihan―
メガリス研究発祥の地
地の果て Finistère
ブルトンの村・建築
ブルターニュの最深部
―フィニステール北岸―
谷の町モルレー Morlaix
パリに戻ってさらに考えてみた
ブルトンまたはケルトの国

ブルトンの宗教
 ブルターニュでも現在最も多く信仰されているのはフランスで一般的なローマ・カトリックである。しかし、実際に教会を訪ねてみると少し違う面が見えてくる。そこにはキリスト教布教以前のドルイドなど土着宗教の影も透けて見えて興味をそそる。
 ケルトの宗教ドルイドについては多くを知らない。近年ケルト文化復権運動の一部としてドルイド教の儀式の復活なども試みられているらしいが、何かカルト的な匂いのするそういった動きには興味が湧かない。
 ドルイドについて、古くは紀元前1世紀ごろシケリアのディオドロスやポセイドニオス、ストラボンといったギリシャの歴史家たちが書き残したものが知られている。彼らはケルト人たちの命知らずともいえる勇猛さの理由として、ドルイドの説く霊魂不滅の思想を挙げている。肉体は仮の宿に過ぎず、死後一定の期間のうちに魂は新たな肉体に宿って生き返ると信じられていたというのである。そしてそれはピタゴラスの輪廻転生説と同じようなものだと言っている。後にガリアを征服したカエサルもガリア戦記の中で同様のことを述べている。
 確かにケルト神話や説話の中には輪廻転生に似た変身譚が多く登場する。しかし、仏文学者の田中仁彦はピタゴラス的輪廻転生とケルト的霊魂不滅とがまったく違うものであると説明する。ピタゴラスの説く輪廻転生は、もともと神々の世界に属していた人間が罪によって転落し、肉体という牢獄に閉じ込められて地上をさまよう間に罪を償って天上に帰るというもので、罪の償いが終わるまで魂は宿るべき肉体をさがして転生を繰り返すというのである。一方、ケルト的変身譚には罪とか償いとかいった観念が希薄で、死後に赴く世界も酒池肉林の女人国であったりしてひどく脳天気である。また、生身の肉体を持ったまま他界を旅して帰って来たら大変な年月が過ぎていたという浦島伝説に似たような話もあって、魂と肉体の区別もはっきりしていない。もちろんこういった古伝承もキリスト教受容後長年の間に罪の償いや信仰の深さを試される場面などの説話が挿入され変形していくのだが、より原型に近い形で残っている話はともかくそうである。
 そして、何よりもここが面白いところなのだが、こういったケルトの伝承や説話を記録したのはドルイド僧ではなく、キリスト教の修道士たちなのである。中南米でもアフリカでも、伝道の過程で土着の宗教や価値観を否定し、神殿を破壊することに力を費やしたキリスト教だが、ここブルターニュでは逆に積極的に異教徒の伝承を記録したというのである。このことについても田中仁彦が興味深い分析をしている。

 ドルイドのような極めて特徴的な土着信仰が根強く残っていたブルターニュにおけるキリスト教布教史では、意外に思うのだが一人の殉教者も出さなかったのだという。先生はケルトの他界がキリスト教の煉獄に似ていることなど、キリスト教を受容しやすい下地があったのだというが、最も大きな理由としてブルターニュのキリスト教を特徴付ける聖母マリアの母聖アンナに対する崇拝を挙げている。聖祖母アンナ崇拝は東方キリスト教特有のもので、3世紀までに東方で成立した原ヤコブ福音書から出たものである。子供に恵まれないことを嘆いていたアンナと夫ヨアキムが天使のお告げにより接吻を交わしたところマリアを身ごもったとするこの伝説は、聖母マリアも無原罪懐胎によって生まれたと主張するもので、キリストの聖性をより高めるために屋上屋を重ねたものだ。アルメニアやコプト、エチオピアなどでは「無原罪懐胎の祝日」はマリアがキリストを懐胎した日ではなくアンナがマリアを懐胎した日を祝うものと位置づけられているという。このことをもってブルターニュに最初に伝わったキリスト教はローマ・カトリックではなく東方キリスト教であろうというのだ。そして、聖アンナ崇拝がブルターニュにおいてすんなり土着化した背景にはケルト宗教の最高神、神々の母大地母神アナ(アニャ、ダナ、ドーンなどと名を変えてケルト世界のいたるところに存在する)と聖アンナが重なりあったからとしか考えられない。だからキリスト教の側も布教する上でそれらを大いに利用したのだと結論付けている。いかにも文学者らしい夢のある解釈だ。
 モルビアン湾の西端、湾から10㎞ほども入り込んだフィヨルドのような入り江の奥にオーレイAurayという町があるのだが、その北にこの町の前身となった古い村サン・タンヌ・ドーレイSte-Anne d’Aurayがある。かつてケランヌKeranne と呼ばれていたこの村の起源を伝える伝説によると、天使の導きで畑の中から聖アンナの像が見つかって礼拝堂が建てられ発展したというのだが、今も聖アンナ信仰の聖地のひとつとなっている。
実際にブルターニュの各地に残された教会を訪ねると、基本的にはカトリックのゴシック建築なのだが、一般的な聖母子像ではなくアンナ、マリア、キリストの三体聖母子像がいたるところで見られる。これをローマ・カトリックの説く父と子と聖霊の三位一体に対して「母権的三位一体」と呼ぶ宗教研究者もいるらしい。教会そのものを見ても、カルヴェールと呼ぶキリスト磔刑の様子を詳細に表現した十字架のおどろおどろしい登場人物からして土着宗教的な匂いが感じ取れる。異教に対してきわめて不寛容なキリスト教でも土着信仰と習合することがあるのだと気付き、なるほどとうなずかされた。