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La Cité
城塞都市遺跡というが、シテの中には今も人が住んでいる。アルビジョワ十字軍時代から代々住んでいるという人は多分いないのだろうが、城内にはホテル、カフェ、レストラン、土産物屋、骨董屋などがあって、夜も結構賑わうらしい。
トランカヴェル城は城砦の中でさらに堀に囲まれており、入り口の石橋の中央部分は跳ね橋になっているが、もとは跳ね橋ではなく、攻められたときには焼き落としてしまう方式だったという。ここにスム・カルカスの石像があるのだが見ることはかなわなかった。
二重になった高い城壁の随所には52基もの塔が造られている。塔の形は、円柱、多角柱、方柱などいろいろ、窓の形も長方形、半円アーチ、尖頭アーチ、凸字形など様々である。屋根は大半がスレート葺きのとんがり帽子のような形だが、ガロ・ローマ様式の低い屋根もいくつか見られる。そのような塔では、明り取りの窓を塞いで矢挟に改造してあったりする。城壁や塔の石積みに目を移すと、上部は大ぶりのきれいな切石で積まれているのに、基部に近い部分はほぼ長方形に荒割した小振りな石材で積んでいるところがあり、それらはガロ・ローマの城壁を再利用したものである。
二重の城壁の間は石畳の広い通路になっており、各所に矢来が構成されている。矢挟から覗くと広範囲の攻撃が可能で、もし外壁が破られても、内壁に付随する塔のあたりで通路が狭くなっているうえ、塔から通路は丸見えなので、内壁を破ることはさらに困難だろう。とある計算によれば、この城の守備兵は最低4,000人を要するという。
この城のアキレス腱は用水だった。城内には巨大な貯水槽と多くの井戸があるが、城外の地下水脈を絶たれると、長期の籠城戦にあたっては天水だけが頼りになってしまう。トランカヴェル侯が5年の籠城戦の末敗れたのも水の枯渇が原因だったという。
二千年にわたる各時代の建築様式を見ることができるシテは、まさに生きた建築史博物館と言ってよい。見るほどに湧いてくる興味に、心ひそかに再訪を期した。
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