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サン・セルナン広場の蚤の市
由緒ある教会に対して教皇から与えられるバジリカという尊称が示すとおり、トゥルーズで最も古いカトリックの聖堂がサン・セルナン・バジリカである。われわれは今回の旅でこの教会の真向かいにあるオテル・サンセルナンに延べ3泊部屋を取った。朝な夕なにフランスで最も美しい教会のひとつといわれる聖堂の景観を楽しもうという魂胆である。宿のマダムも旅行者の気持ちを察したかのように、美しいカーブを描く後陣と尖塔を窓を額縁に眺めることのできる真正面の部屋を用意してくれた。
フランスの日の暮れは遅い。午後8時前、ようやくたそがれてきた窓の眼前に聳え立つ尖塔はどっしりと落ち着いていた。シャルルドゴール空港で乗り換えた国内線の機内で手にしたフィガロもル・モンドも一面トップで教皇ヨハネパウロ2世の死去を伝えていた。フランスはカトリックの国である。町の様子はどうだろうかと一抹の不安があったのだが、人々の日常は変わりないように思えたし、教会も外から見ただけでは内部にたたえた悲しみは窺い知れなかった。
夕食をとりに出かけたキャピトール広場Place de Capitoreは人通りでにぎわっていたし、食事をしたイタリアンレストランも客でごった返していた。ただ、10時過ぎにホテルに戻ってきたとき、バジリカの扉に額をつけて一心に祈っている青年を見かけたのが印象的だった。それに、夜中になっても2時間おきぐらいに尖塔の鐘が打ち鳴らされていたのはいつものことだったのだろうか。
日暮れが遅い分朝も遅い。翌朝まだ明けやらぬ8時ごろ、窓の外はもうすでに騒がしい。日曜だし、朝からミサに人が詰めかけているのかと思ったら、バジリカの周りの広場で毎週開かれる蚤の市の準備だった。たくさんのワゴン車が場所を取りあい、テントや屋台の組み立てに人が忙しく立ち働いている。広場といってもそう広くはないし、そこを周回する道もひどく狭い。駐車スペースからはみ出していた乗用車があっという間にレッカーで持っていかれたのは大笑いだった。
広場に面したホテル階下のカフェでクロワッサンとカフェ・オ・レの朝食をすますと、なんとなくフランスへ来た実感がわいてくるあたりが我ながら俗物っぽくてうれしくなる。教会の扉が開く10時までは蚤の市を見物してまわった。
サン・セルナン・バジリカの周囲はゆっくり回っても30分ほどで大半の店は覘ける。食べ物を商う店はほとんどなくて、パン屋と漬物屋(当然ピクルス)だけだ。新品の靴やスポーツウエア、下着の店、日用雑貨、古着屋、古本屋、骨董屋、中古工具の店、アラブの緞通、アフリカの民芸品などの屋台が、準備のときの喧騒とは裏腹にのんびり商売している。少し離れた路地では、ハーブや生の香辛料らしい野菜を商う屋台がいくつも出ていたが、売り手も客も中東系の顔ばかりだったので、アラブの料理に使うものなのだろう。ほかの店もアラブ人がやたらと多く、黒人もフランス人ではないアフリカ系が多いことが、彼らの話している言葉からうかがい知れる。
しかし、売られている品物は結局ガラクタばかりで、「蚤の市で掘り出し物」というフランスの旅で夢見るシチュエーションの一つはあえなく消えた。
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