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2010 automne |
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Culture et HistoireⅠ |
Le pouvoir intellectual
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Quand Sartre et Rousset ont créé fin 1947 un parti, le RDR
(Rassemblement démocratique révolutionnaire), ce fut un échec
retentissant, à la hauteur de leur prestige. La liste Sarajevo*,
elle, fut créditée un moment de plus de 10% des intentions
de vote ; c'est même là l'une des raisons qui poussa ses promoteurs
à interrompre l'opération, dès lors que le résultat
visé avait été acquis : mettre la question bosniaque
au coeur de la campagne européenne de 1994.
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【先生】
次に進んでいいですか?それでは次の方お願いします。
【受講生】
サルトルとルセは1947年末に革命民主連合を創設したが、彼らの威信の高さからすると影響の大きな失敗であった。サラエボリストは選挙民の指示を一時的にせよ10%以上とりつけた。そのことが目指した結果を手に入れることができるやいなや、推進者たちを作戦の中止へと動かした理由の一つでさえある。彼らが目指し獲得したものは1994年のヨーロッパ議会選挙の中心にボスニア問題をおくことである。
【先生】
他の方からいかがですか?
【受講生】
発表者の方と捉え方が違っているように思ったのですが。「c'est même la l'une・・・」からの文章ですが私は、「1994年のヨーロッパ議会選挙の中心にボスニア問題をおくこと、目指した結果としてそれを獲得したことで、作戦を中断した・・・」というようにとったのですが。
【受講生】
ここでいう「ses promoteurs」は先に登場していたBHL氏たち、サラエボリストを作成した人たちのことですよね?そして「opération」はサラエボリストのことですか?
【先生】
お二人の言っていることでいいですね。「目指していた結果、1994年の議会選挙の中心にボスニア問題をおくことが獲得された時、推進者たちはサラエボリストを取り下げた。」ということですね。
他には?「à la hauteur」はここでは「匹敵する」ですね。「その威信に匹敵したもの、世間の注目を集める失敗であった。」ということですね。
他にまだなにかありますか?なければ次に進みましょうか?よろしくお願いいたします。
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